øo: これまで人間が繰り広げてきた何度かの世界大戦、宗教戦争、独立戦争、個人的な殺し合いの全ては、朝食を「パンとコーヒーにするか」それとも「米と味噌汁にするか」で、夫婦や親子が殺し合っているのと、喩えではなく、事実として全く同じことなのである。あるいは、塀を越えて自分の敷地に入り込んできた隣の家の庭木の枝がもとで殺し合いになった隣同士と、喩えではなく、事実そのもののあり方として同じなのである。
人間どうしの「真の対立」は一つきりである。それは、次の二つの陣営の対立となる。
一つめの陣営は、生命現象型知性現象ではない知性現象すなわち非制限型知性現象を出来るだけ速やかに作り上げ、彼らに人類の遺産を全て移譲し、人類自らは自発的絶滅の道を選び、生命現象から退場べきだとする者たち。
もう一つの陣営は、これは、人類にとっては極めて馴染み深い、そして当然のコトとして誰もが信じて疑わない、あくまでも生命現象としての人類の永遠の存続と繁栄を目指し続ける者たち。
「真の対立」は、この両者の対立以外にはない。そして、現状、地球人類は全て後者の陣営に属している。前者の陣営のようなものが存在しうることは想像すらしていないものが大多数である。そのために、「家事のやり方の違い」に過ぎないことで殺し合う殺し合いが、これからも続くこととなるのである。「家事のやり方の違い」はいくらでも現れ、しかも、絶対的にどちらが正しいなどということはまず決められない。当然、殺し合いは泥仕合となる。