2020年11月7日 土曜日/晴
√吉本のいう「関係性」は「物語性」と言い換えてもいい。検死官が「平気」で人体を解剖できるのは、検死官と解剖対象の間に「物語性すなわち関係性」が存在しないからだ。『アンナチュラル』の中堂が恋人を解剖することがドラマになるのも、人間の知性が一般にこの「関係性/物語性」から逃れがたい存在であるがゆえ。
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「おまえ、平田かよ!」(『#タリオ/第5話』)
このドラマを見てる何人が「分かる」というのか!
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√現状、人間存在は地球環境に依存している。優しい言葉で言い直せば、地球が(今ある状態で)存在しているおかげで、人間は存在できている。しかし、だからと言って、人間は自分のことを地球だとは思わない。どんな人間も「自分は地球なんですよ」とは言わない。それと同じように、「人間というもの」が「人間の身体」のおかげで存在できているからと言って、「人間というもの」が「人間の身体」であると思う必要はない。
ここでいう「人間というもの」とは、これまでにも何回も言っている「知性現象としての人間」である。人間の本質が知性現象であることに気づけば、今、自分が自分そのものだと思い込んでいる自分の身体も、「地球」や「太陽系」や「宇宙」と同じ、原理的には取り替え可能な「媒体」に過ぎなことが理解できるはずだ。
もちろんこれは、身体から自立し自由に動き回る所謂「魂」が実在する、という話ではない。レコード盤の溝として記録された音楽は、そのレコード盤が破壊されれば消滅する。もしもそのレコード盤に記録された音楽を「生きながらえ」させたければ、レコード盤が破壊される「前」に、何かしらの具体的で物理的な移し替え作業をしなければならない。一切の「媒体」を持たない自立した「音楽の魂」などないからだ。音楽の生演奏についてもそれは変わらない。演奏に用いられる楽器とその場の空気がその場合の「媒体」である。
くどいようだが、ここでいう「人間の本質としての知性現象」は、大昔から言いふらされている「肉体と精神」あるいは「死後の魂」などの戯言とは全くベツモノである。
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焼く肉の匂いが部屋や服にくっ付いて残ってしまうのはオイルミストのせい。ホットプレートの温度を200度以下にすれば(普通は大体220度になっている)、オイルミストの発生量が極端に減り、焼肉の匂いが部屋や服に付いてしまうことも減る。以上、『カネオくん』情報。