2020年11月6日金曜日

「神学」の一番の特徴は「偽の難解さ」

 

2020年11月6日 金曜日/晴


『ターンAガンダム』第20話「アニス・パワー」視聴。



『エヴァゲリオン』の面白さの醍醐味/真髄は、危機的状況の打破の行程(分析>作戦>司令>実行)にあるわけで、例の、なんとかインパクトとか、使徒とか、人類補完計画とかの、所謂「エヴァの謎」は、庵野がひねり出した「神学」に過ぎない。「神学」の一番の特徴は「偽の難解さ」。その「偽の難解さ」の正体は「高度な言葉遊び/イメージ遊び」。


実というと、科学を構成する要素にも「高度な言葉遊び/イメージ遊び」はある。だから、神学と科学は「印象が似ている」のだが、決定的に違うのは「科学はそれだけでは終われない/終わらない」ということ。これが両者をまるで別人にする。科学の「高度な言葉遊び」は数学で語れなければならず、科学の「高度なイメージ」は客観的に実証されなければならない。それは、神学が「弄ぶ(まさにこの言葉がふさわし)」言葉とイメージにはもとめられないものだ(というか、時に神学の側から拒否される)。


「神学」は、自身の嗜好や趣味に基づいた/あるいは則った「言葉遊び」や「イメージ遊び」をどこまでも複雑に展開することで、見るものを眩惑する。何しろ、基本的に「独りよがり」なのだから、周りの人間にはとにかく難解(もしかしたら、当人にとっても難解で、それがまた当人の「励み」になっているのかもしれない。充分ありうる)。しかし、それは、先にも言った通り「偽の難解さ」でしかない。


「偽の難解さ」は、言い換えると「偽の合理性」である。「偽の合理性」によって成立しているシロモノを「本物の合理性」で理解しようとすると、そこに「とてつもない難解さ」が出現する。この「とてつもない難解さ」が「神学」をもっともらしく見せる唯一の要素。


「エヴァの謎」にアタマを悩ますは、庵野の「女の趣味」にアタマを悩ますくらい、時間と脳の無駄遣い。



『Dr. STONE』シーズン1/全24話を見終わった。これを観てもまだ「科学」を否定的に捉えている人間がいたら、そいつらは、「宇宙の天気」が「生き物の生息限界」を超えた時、すなわち「宇宙災害」発生時に滅亡することを今から受け入れておかねばならない。生き物=生命現象=「生命という媒体」では「宇宙災害」は乗り越えられない。科学は、人間存在という知性現象を「生命という媒体」から自由にするための唯一無二の手段なのだ。