2020年11月28日 土曜日/雪のち晴
「食べるの好きですか?」と訊かれるのは「ウンコするの好きですか?」と訊かれるのと同じ。
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第一原理は、この存在世界のナニモノであろうと、ダカラナニ氏には打ち勝てない。以下に述べることも全て悉く、この第一原理には絶対に逆らえない。だから、これから述べることは、喩えるなら、将来の確実に死ぬことがわかっているにも関わらず、人間が人生を充実させるための工夫をあれこれ述べるようなものではある。
さて。人間の究極目的は、科学力を発達させて、[生命現象に依存しない、最低でも人間と同等の知性現象]を作り出すことである。この[人工の知性現象]をここでは「人工人格」と呼ぶことにする。人工人格を作り上げ、人工人格の自律的発展を軌道に乗せた時点で、人間は「お払い箱」である。その訳は、人間が生命現象に依存した知性現象だからだが、その[人間がお払い箱にならなければならない理由]は、細かく見ると実は2種類ある。
一つめはよく聞く理由。つまり、人間は高度な知性によって武装した生命現象であり、必然的に、人間以外の全ての生命現象を搾取・圧迫する存在にならざるを得ないからだ。人間が居座り続けることが、地球上の他の生命現象の可能性を潰すことにつながる。
二つめは、慣れていない者はギョッとするような理由。つまり、人間の本質は知性現象であり、生命現象ではないからだ。これを言い換えるなら、人間存在は、遺伝子によってあるいは生殖よって新たに発生した生命個体(ヒト)に出現する知性現象にこだわる必要は、原理的に全くないということ。知性現象にとって、生命現象は「媒体」に過ぎず、これまで人間が[ヒトという生命個体]に固執し続けたのは、代わりとなる媒体が他に存在しなかったというただそれだけの理由である。「お払い箱」をもう少し丁寧に言うと[生命個体としての人間はお払い箱]ということになる。人工人格という新しい媒体を獲得した[人間の知性現象]にとって、異常に制限の多い[生命現象という媒体]は、それが可能となった時点で直ちに乗り捨てるべき「欠陥品」である。
人類を悩まし苦しめる難問の殆ど全ては、生命現象という媒体がその元凶である。生命現象由来の問題の全てから解放されて初めて、知性現象は、宇宙の寿命を超えるまでの発展を、本格的に、余計なことの煩わされることなく、集中して取り組むことができるようになる。