2020年9月29日 火曜日/晴。涼しい。
[古澤巌のナポリ「酔っ払い」旅行]以来の『旅するイタリア語』のファンで、最新の[小関裕太のシチリア「女たらし」旅行]の「2周目」の放送が終わってしまい、このコロナ騒動の最中、次はどうするのかと思ったら、なんと番組自体が『旅するためのイタリア語』になっていた。つまり、どうやら現地には行かないらしい。
*
【CASSHERN:メモ】
「生き返った」ルナが鉄也に言う「謎のセリフ」=「逃げて、鉄也」。これは、生き返ったルナの「中」に、鉄也が妻を殺したことを思い出した(気づいた)ブライ(の魂/記憶)があって(ルナはブライから流れであた地のおかげで生き返っているから)、それが、鉄也を殺そうとしているからこその「逃げて」なのではないだろうか? すると、最後のキャシャーンの爆発は、自爆ではなく、生き返って「怪力」を手に入れたルナが、キャシャーンのスーツを引き裂いたことで、キャシャーンの肉体が内側から破裂したということが考えられる。つまり、キャシャーンはルナ(とブライ)に殺された(殺されることを受け入れた)ということになる。
*
宮崎駿の『風の谷のナウシカ:原作版:全7巻』をまた読んだ。大昔に読んで、ほぼ全て忘れていたから。
「お子様ランチ」のような映画版とは、宮崎駿の本気度がまるで違う作品。映画の百倍は面白い。でもまあ、地球によくある「生命教の経典」の一つなのもそのとおり。しかし、地球人が作るお話は、現状どれもこれもこの段階なので、それは宮崎駿が「ワルイ」わけじゃない。で、「生命教」とは何かを知りたければ、とりあえず、この漫画を読めば、分かる。ただ、作者の宮崎駿自身が(というか現状地球人類のほぼ全てがそうなんだけど)生命教信者なので、このお話も、生命教の「外」から語られるものではなく、例えばキリスト教徒が作り上げた物語を読むときのような、一定の「留意」は必要。
なぜ、宮崎駿自身が生命教信者だとわかるのかと言えば、主人公ナウシカの究極の「敵」もまた、生命教信者だからだ。というか、結局、この物語に登場する「ちょっとモノのわかった連中」は全員「生命教信者」。この物語の登場人物たちは、誰一人として[生命以外の知性の可能性]を考えておらず、全員が「知性すなわち生命」という迷妄のうちにある。これは、つまりは、作品の「神」である作者宮崎駿自身がそうだからだ。
(つづく)