2020年9月24日木曜日

『コロンボ/もう一つの鍵(LADY IN WAITING)』メモ:(後編)

 

2020年9月24日 木曜日/晴。涼しい


『コロンボ/もう一つの鍵(LADY IN WAITING)』メモ:(後編)


このエピソードは、妹のバカっぷりばかりが目につくが、実は、一見真っ当な人間に見える兄や母親が、本当は[他人を見た目や地位で判断する差別意識の強い、偏見だらけの嫌な人間]であることをちゃんと描いている。で、そこを見落とすと、なにか単に、バカな犯人にイライラするだけの薄っぺらなエピソードになってしまう。逆に、その点を理解すると、犯人が哀れな存在に見えてくるし、単なる面白シーンだと思って見過ごしていた場面にも別の意味が見えてくる。


例えば、母親の飼っている小さな犬が、執拗にコロンボに吠えかかる場面。よくよく考えてみると、わざわざ犬を用意して、コロンボに吠え掛からせる意味がよくわからない。つまり、ドラマ撮影の手間として見た場合、あの場面は不自然に「コスト」が高い。それをわざわざ撮って放映するのは、作り手にとって特別な意味があるからだ。言ってしまうと、あの「うるさいワン公」は、母親のコロンボに対する内心の強い偏見と蔑みを暗示している。母親を良識を持ったバランスのとれた人間だと思ってしまうとこれには気づきにくいが、偏見を隠したイヤな人間だと気づくと、みすぼらしい刑事に執拗に吠え掛かる「うるさいワン公」の「意味」はすぐに分かる。


一見、イイ人そうに見えるこの母親の「病理」を描いた場面は他にもある。兄を「殺してしまった」妹に、会っていきなり平手打ちを食らわすのがそうだ。「事故」で実の兄を撃ち殺してしまった妹(自分の娘)に、いきなり平手打ちを食らわすのは、ぼーっと見てると、そりゃそうかもねになるかもしれないが、よくよく考えてみると、母親として相当に異様。ここで、平手打ちをした後にすぐに抱きしめるくらいすれば「まだ大丈夫」だが、それもないので、この母親の態度の異様さは決定的。つまり、この母親は、ずっとこの兄妹を不平等に扱って来たし、そのことに何の疑問も抱いてないし、長年「そういう扱い」を受けて来た妹の内面を推し量ることもできない。ソウイウ母親なのだ。ソウイウ母親だからこそ、コウイウ娘(妹)が作られた、という構造。あの場面は、「兄」を殺したのは、間接的には、この母親だ、と言っているようなもの。



wet系単語:moist(肯定的)、damp(否定的)、humid(気候の蒸し暑さ)。