2020年9月12日土曜日

今日初めて「エヴァンゲリオン」というものを観た

 

2020年9月12日 土曜日/曇り。涼しい


今日初めて「エヴァンゲリオン」というものを観た。少し前にNHKが放送した「新劇場版」の「序」「破」「Q」の「序」と「破」だ(この呼び名の元ネタは、能狂言の用語「序破急」から?)。最初に「あ!」と思ったのは、25分ごろの病院内のアナウンスの中身:「第一内科のウガイ先生、第一外科のアズマ先生に至急ご連絡ください」。『白い巨塔』やん。あと、テレビで割と耳にする、あのティンパニーの曲が「ヤシマ作戦」の時のものだったのも初めて知った(本当はもっと頻繁に流れているのかもしれない)


あと、エヴァンゲリオンというのは、要するに人型サイコミュ。パイロットと「一体化」しているので、エヴァンゲリオンの「機体」が傷つけられると、その箇所に相当するパイロット自身の身体が「同じように傷つけられる」という現象が起きる。そう設定することで、「機械」を痛めつける場面が、自動的に生身の人間を痛めつけているという印象を視聴者に与えることができる。だから、例えば、エヴァンゲリオンの腕が引きちぎられれば、パイロット自身の腕が引きちぎられたという「印象」を視聴者に与えられるので、映像的には「ロボット」が破壊されただけなのに、スプラッターなオゾマシサを表現することができる。



『コロンボ』メモ:

(第5話)『ホリスター将軍のコレクション』DEAD WEIGHT


▼最後の「記念館」での「謎解き&逮捕」は、犯人に惚れているヘレンさんの「憑き物落とし」のためにコロンボがわざわざ用意したもの。あの時点で、展示されている銃の弾道検査が済んでいるということは、一旦、展示ケースから取り出して弾道検査をした拳銃を、そのあと、逮捕をする「場面」のために、わざわざ、展示ケースに戻したということだから。犯人を逮捕するだけなら、犯人の自宅を訪ねれば済む。



√人間は、生命現象としてなら「全う」できる個体も割合存在するかもしれない。だが、知性現象としては、ことごとく「中途」で終わる。



【メモ】

▼ウインナーは空気に触れると急速に縮むために、一食分ずつ食べきりサイズの1袋を2つ1セットで売られている。

▼灯台の電球は、もしもの時のために二つ装備されている。

▼小さい子供と一緒にトイレの個室に入る人が、用を足している間に子供に鍵を開けられないために、ドアの高い位置にもう一つ鍵がついたトイレがある。

(『チコちゃん』)