2020年9月19日土曜日

日本語と英語の[文法ではなく「言葉のクセ」の違い]としてよく指摘されるのが、「~だと思う」の否定文の作り方

 

2020年9月19日 土曜日/晴。暑くはないが涼しくもない。


日本語と英語の[文法ではなく「言葉のクセ」の違い]としてよく指摘されるのが、「~だと思う」の否定文の作り方。例えば、日本語の「私は、君がそれをすべきではないと思う」は、英語では普通「 I don't think you should do that.」となる。


これの何がモヤモヤするのかと言えば、例に挙げた文章の[伝えたい本体]は、日本語も英語も間違いなく「君はそれをすべきではない」であり、「~と思う」は付け足し表現にすぎないのに、英語ではなぜか[伝えたい本体]の方を否定してそのカタチを変えてしまっているからだ。英語のこの言い回しは、日本語話者には「持って回った」ように感じられる。


もちろん、日本語でも英語でも、それぞれの否定位置を変えて、「私は、君がそれをすべきだとは思わない」「I think you shouldn't do that.」と表現することは全く可能。しかし、どちらの言語も、前者の例文の方が「普通」であり、後者のように表現すると、聞き手は特別な「含み」や「意図」や「思惑」を感じてしまう。それは、後者の方が、当該言語の話者にとって「持って回った感」があるからだ。というか、真相は逆で、この「持って回った感」が「含み」や「意図」になるのだ。


では、この「持って回った感」は[どこから/なぜ]生じるのか? と言うのは、「意味」から見ると、例えば日本語話者にとっては、英語話者にとっては自然に感じる「I don't think you should do that.」の方にこそ「持って回った」印象を受けるという事実があるからだ。


答えは「意味じゃない」ということ。実は「位置」が重要なのだ。よく見れば(別によく見なくてもわかるけど)、日本語も英語も、文章のはじめに近い位置の動詞を否定することを「自然」としている。逆に言えば、文章の最後の動詞を否定すると、どちらの言語も「持って回った感」が出てしまうのだ(考えて見ればアタリマエのこと)。


日本語が「すべき」を否定したがり、英語が「think」を否定したがるのは、単に、それぞれの文章で、それぞれの動詞が、他の動詞よりも「先に」出てきているからなのだ。だから、これも実は単なる「クセ」ではなく、「文法(一方は動詞が文末に来る。もう一方は主語のすぐ後に来る)」由来の違いなのだ。