博士は云った。
「実のところ、わたしにとって一番大事なのは、実在した個人の再生ではありません。特定の誰かの、いわゆる〈死後の魂〉など、人間社会を混乱に陥れるだけですからね。私が目指したのは〈生命現象に拠らない知性〉を作り出すことです。生命現象は恐ろしく脆弱です。物理現象全体からすると、あまりにも制限が多すぎるのが生命現象です。そんな、条件だらけで危うい現象の上に成り立っている人間の知性現象では、今後必ず起きる宇宙規模の破局を乗り越えることは到底不可能ですからね。もっと、物理現象と直結した、強固な基盤を持つ、強固で柔軟な基盤を持つ知性現象が必要です」
何のために、そんな強固なものが要りますか?
「何のためにって、それは、人類がこれまで築いて来た様々な知的成果、科学的知見、科学技術、文化遺産を、せめてこの宇宙の寿命がつきるくらいまでは存在せしめるためではありませんか」
博士はパイプを取り出し、煙草を詰め始めた。
「私のような存在になると、煙草をいくらやっても病気になる心配はありません。最初からその可能性をアルゴリズムから完全に排除していますからね」
よくわかりませんね。
「分かる必要はありませんよ。ただ、そうだということを認識しているだけでいい。マッチを擦ると、軸の先に火がつきますが、なぜ火がつくのか、その化学的な理由は知っていなくてもいい。知っておくべきことは、マッチを擦ると火がつくという事実だけです。利用するためにも、事故を防ぐためにも」
博士は詰めた煙草にマッチで火をつけた。細い管の中を空気が通る音が聞こえて、それから、博士の口から白い煙が出た。
「どうです、煙草、匂わないでしょう?」
頷く。
「しかし、私にはちゃんと匂います。これも、そういうふうにアルゴリズムにちょっとした工夫をしているおかげです。こんな近くでパイプを吹かしても、喫煙者と非喫煙者で、完全に違う空気を吸えるような状態を人工的に最初から作り出しているわけです。なにしろ、パイプの煙は強烈ですからね」
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