2020年9月14日月曜日

3作目の『エヴァンゲリオン新劇場版:Q』も観た


2020年9月14日 月曜日/曇り。やや蒸す。


3作目の『エヴァンゲリオン新劇場版:Q』も観た(今回観た「新劇場版」の3作以外は観たことがない。また観る必要もないと分かった)。


ナギサくんとか、アヤナミレイの瞳が赤いのはやっぱり『ブレードランナー』のレプリカント表現か。『人類補完計画』は、シャアの言う「ニュータイプのための世作り」だろうか。


3作を観てわかったことは、庵野が一番やりたいことは、特撮描写、SF描写、庵野的にカッコイイ世界の風景描写。人物設定や物語のテーマなんかは、そのための「方便」。「謎」も「世界観」も「人間洞察」も、中高生レベル。だから、逆に「受けた」のだろう。


お話自体は、「誰でもゲームが上手くなったように思えるゲーム」に似てる。ハタで見てるとものすごく難しいことをやっているように見えるけど、自分でやってみると実はハードルは低めで、「上手く」なるのが簡単なゲームってあるけど、あれに似ている。つまり、「世界像」の「深み」や「複雑さ」が「見せかけ」ってこと。非難しているわけじゃなくて、当人は最初から、そっちの「深み」などさほど追求するつもりもないだろうし、自分でもそっちの才能は大したことはないと理解している、という印象を強く受ける。作品の「世界観」とか「物語性」とか「思想性」とか言われる部分は、最初から捨ててる、というか、適当なところでお茶を濁しておいて、とにかく、自分がかっこいいと思う「場面」を描きたいという作品が『エヴァンゲリオン』だろう。


『Q』に戻れば、「古今例がないはず」の「大気圏突入時の戦闘」で始まり、キャプテンハーロック(ミサトさん)が、アルカディア号(なんとかいう空飛ぶ戦艦。ちょっと、ゴレンジャーのバリドリーンにも見えた)で、絶対的な危機を伸るか反るかの大勝負で打破する場面に繋がるという印象。


あと、エンディングで歩いていた3人はみんな、既に「女の腹から生まれた個体」ではないよね?(アヤナミレイは無論)


あと、アスカの眼帯の裏は「負傷痕」ではなく、「人間ではないモノ」があるんだろうなあ。


エヴァ:綾波ユイ/キャシャーン:東鉄也




ペストはネズミのせい、マラリアは蚊のせいにするくせに、新型コロナはヒトのせいにしない人間の身勝手。



この国ではかつて「バブル」がハジケて多くの店が潰れたが、実は、今度の「コロナ騒動」も、「観光・娯楽バブル」がハジケただけのこと。