2020年9月23日 水曜日/曇り。涼しい。朝晩はむしろ寒い。
『コロンボ/もう一つの鍵(LADY IN WAITING)』メモ:(前編)
このエピソードは、長い間ずっと「イカれたバカな妹が、有能でマトモな兄を殺してしまう」話だと思っていたが、どうも違うらしいことを、今頃になって気づいた(『コロンボ』の旧シリーズは確実に15周はしている)。
長年の「勘違い」の理由は、妹(犯人)の恋人であるピーター(ピーター・フォークのことではなく、役名のピーター。演じるのは『裸の銃を持つ男』の俳優)の捉え方をこれまでずっと間違えていたからだ。
つまりこれまでは、兄(社長/被害者)と母親は、ピーターの本性/本心を「ちゃんと見抜いて」いて(ピーターが妹を「愛している」のは、彼女が社長の妹だからで、結局は出世欲ためにすぎない、と両者ともセリフで明言している)、「愚かな」妹だけが、ピーターの正体もしくは本心に気づいていない、というのが物語の中の「事実」だと思っていた。
しかし、丁寧に人物描写を追ってみると、ピーターに関していえば、正しいのは、「当初」の妹の主張の方で、兄と母親のソレは、[財産家や経営者特有の偏見=誰かが私の財産を狙ってると常に思いがち]の結果だとわかる。ピーターが「財産目当て」ではないことは、当人がそう言っているからというだけなく、ホテルで「最後通牒」を受け取ったピーターがその足で兄(社長)のところに直談判に行ったことからも分かる(結果、この行動が最終的に事件を解決に導く)。そして何より、主人公のコロンボがピーターに対して「腹を割って」事件解決の協力を依頼していることからも、主要人物のうちでは、ピーターこそが「マトモな」人間であることがわかる。
で、このエピソードの[殺人事件とは関係ない部分]の重要なモチーフは、「当初」はそうではなかった妹が、兄を殺して自分が社長の椅子に座るとなった途端に、[兄や母親と同じ種類の人間]になってしまうこと。言い換えると「世界の見え方(人の振る舞い方と言ってもいいかもしれない)は、その人の資質というよりは、その人の立場で決まってしまいがち」という、作り手の[人間に対するアキラメと嘲笑]。ピーターが妹に言う「なんだかキミは兄さんに似てきたぞ」。それに対して妹は「兄さんの言ってた通りかもしれないわ。あなたは私にふさわしくない」と返す。ヤレヤレ。
(明日につづく)