2018年12月28日金曜日

現の虚 2014-5-1【アリギリス】


忘年会で散々飲んで、それじゃあまた、と店の前で別れたのはいいが、大雪の路上でタクシー三台に無視され、やっと止まった四台目は後ろから割り込んで来た知らない女に乗られ、いっそ歩いて帰るかと歩き始めたら、こんな大雪なのに寒さを全く感じないので、相当に酔っているなあ、と我ながら心配になりつつも、歩き続けていれば寒さは気にならないのも事実で、けど、もちろん、真冬の夜に酔っぱらいが一人で長い道を歩いて帰るのはちょっとした賭けだから、もしかしたら俺は死にたいのかもしれない、などと思いながら、こっちの方が少しだけ近道だと知っている路地に入ったら、そこは思っていたのとは全く違う袋小路で、行き止まりの塀の前に雪に埋もれかけた飲み物の自販機があり、じゃあせっかくだから熱い缶珈琲でも買うか、とポケットから財布を出したところで全商品に売り切れランプが付いているのに気付き、ルートマンがサボったのか、こんなドンツキだから存在自体を忘れられたか、いやまさかそんな、などと考えながら、財布をポケットに戻して回れ右をし、その拍子にバランスを崩して雪の上に倒れ、ナニカで頭を打ってそのまま気を失った。

と、そんな記憶。

気付くと俺は自分の携帯を握って雪の中に半分埋もれていて、見知らぬ小柄の女が、俺を雪の中から引きずり出そうと俺の脚を掴んでグイグイ引っ張っていた。俺はその刺激で意識を取り戻したらしい。

あ、アンタ、気が付いたんなら自分で出なさいよ。

と、その小柄の女は云った。体は小さかったが子供ではない。銀色のヘルメット、二眼ゴーグル、白いマフラー、茶色の革のツナギ。つまり古典的バイク乗りスタイル。ただ、バイクには跨がってなかったし近くにバイクも止めてなかった。

俺は立ち上がって雪を払った。バイク乗り風の小柄の女は俺が倒れていた場所に屈み込むと、手袋をはめた両手でそっと雪を掻いて何か探し始めた。

いた!

小柄の女は手袋を脱いで、素手で雪の中からナニカをつまみ上げた。見せてもらうと小さな黒い虫だった。

なに?
アリギリスよ。
アリギリス?

小柄の女は背負っていた鞄を降ろして中から瓶を取り出した。瓶には金色の液体が入っている。瓶の蓋を開け、今拾った虫を金色の液体に沈めた。

虫は一瞬モガいてすぐに動かなくなった。

アリギリスはアリのフリをしているキリギリス、と瓶の蓋を閉めながら小柄の女が云った。そして、今のアンタにピッタリでしょ、と続けた。

会った


放課後の下駄箱で会った。
徹マン明けの帰り道でも会った。
順番待ちのレジ前で会い、
火事を見物する人混みの中でまた会った。
仮眠室、職安、旅先、女の葬式で会って、
今この最期の時に、僕はまたこうして君と会った。

2018年12月26日水曜日

皆が落とすもの


ソレは失うものでも絶つものでもありません。
ソレは落とすものです。
人は皆、うっかり/わざと/気付かず財布を落とすように、
うっかり/わざと/気付かずソレを落とすのです。
拾ってくれた人への謝礼は一割ですよ。

現の虚 2014-4-9【穴の中】


穴の中を這ってる。最初柔らかだった穴は今は固い。湿ってツルツルした鍾乳石のような手触り。そして暗い。真っ暗だ。

何より恐ろしく生臭い。

穴の中を這い回って結構経った。オモシロくないのは、どういう経緯でこんな穴に入りこんだのか全く思い出せないことだ。だが、今現に穴の中にいる。穴の中を這い回っている。上ったり下りたり右に曲がったり左に曲がったり。それでも穴はまだ終わらない。

疲れた。少し休む。

俺は裸足の左足の裏を裸足の右足の親指で掻く。足の指で足の裏を掻くのはイライラしている今の気分に合っている。ガムはもうない。代わりに煙草とジッポーがあった。なら、煙草を吸おう。

煙草をくわえ、ジッポーをつけると正面に男の顔が出た。額に小さく丸い火傷痕。火傷痕の男は穴の中でこっち向きに腹這いだ。ゆっくりと俺に云う。

「モナ・リザ」は、貴婦人も背景の山も同じ絵の具で出来ている。

俺は煙草に火をつけずジッポーを消す。男の顔も消えた。もう一度、左足の裏を右足の親指で掻く。ジッポーを再点火。

現実の世界も「モナ・リザ」と同じだ。

火傷痕の男はゆっくりはっきりと発音する。瞬きしないその男と俺は見つめ合う。目玉にジッポーの火が映っている。俺はぐっと我慢して、ジッポーの火をくわえた煙草の先へ運ぶ。

例えば、光の速度とは究極の速さではなく、世界の真の距離のことだ。

ジッポーの火を消すと暗闇にオレンジ色の煙草の火だけが残った。火傷痕の男は、まだ目の前の暗闇にいるのか、いないのか。いた。暗闇から声だけが聞こえる。

それゆえ、隔たった二つのやりとりが光の速度を越えていたなら、その隔たりは「見せかけ」ということ。真実の姿は距離無し。舞台上には父と呼ばれる者と息子と呼ばれる者がいるが、実は一人の人間。もつれた量子など初めからない。

その途端、穴が固さを失ってだらんと垂れ下がり、俺を逆さに滑り落とした。落ちた先には雪が積もっていたが、頭から落ちた俺の首はイヤな角度に曲がった。イヤな音もした。首から下との連絡が絶たれた可能性がある。それならば、首から下にまだ意識の惰性が消え残っているうちに急いで立ち上がり、あそこに落ちている携帯電話を拾って救急車を呼ぶのだ。人間の体は、たとえ首を切り落とされても少しの間なら動けるはずだから。

俺の「首から下」は、立ち上がり、携帯電話まで走ってそれを拾い上げ、だが、そこでただのモノになって雪の上に崩れ落ちた。

2018年12月21日金曜日

ズローチ


謎の薬「ズローチ」。
「水やけど」の治療薬で、
唇を虫に噛まれたときにも使える。
或る年齢以上の老人はみんな知っていて、
かつては小学校の売店でも普通に売られていたが、
最初の東京オリンピックを境に姿を消した。

現の虚 2014-4-8【盗まれた手紙】


来た道を地図の上で辿って赤いバツ印を確かめる。もうこの辺りだ。

ちょっと。

いきなり後ろから声を掛けらてギョッとする。こんな辺境の地に他に人間が居るとも思えない。一瞬アイツ(砂漠谷)かと思ったが、違った。振り返ると、アンドロイドの郵便配達員が立っていた。昔から辺境の郵便局員は異星人かアンドロイドと相場が決まっている。この郵便配達員はアンドロイドの6型だ。目で分かる。瞳孔が赤くうっすらと光っているから。アンドロイドは感情が高ぶると瞳孔が赤くうっすらと光るのだ。ということは、このアンドロイドはなぜか今コーフンしているということだ。理由は思い当たらない。僕は用心した。

何か用かい?

郵便配達員は肩から提げた鞄をモゾモゾやって、これを、と黄色い封筒を差し出した。僕は警戒しながらそれを受け取った。宛名は僕になっていた。だが、既に封が開いていて中身がない。

盗まれましたよ、遠の昔のすっかりと。

郵便配達員が気の毒そうに顔を歪める。

盗んだ者だけが手紙の内容を知っています。差出人はすでにこの世にいないのです。

僕は封筒を裏返し、差出人を確かめた。僕の双子の姉だ。僕はそのとき初めて姉が死んだことを知った。双子はそれぞれの身に起きたことをお互い察知し合うと云うが、あんなのはウソだと思い知った。今、この機械の人間に教えられるまで姉が死んだことなどチットモ知らなかったからだ。虫の知らせも、原因不明の胸の痛みも、夢枕に誰か立つお告げも、何もなかった。

しかし、いつだろう?

ワタクシの前任者が襲われ封筒の中身が奪われましたので、差し出し人に連絡を取ったのですが、その時にはすでに亡くなっておられました、とアンドロイドの郵便配達員は云って、一枚の写真を見せた。それは墓の写真で、墓石には姉の名が刻まれていた。確かに姉は死んでいた。だが、墓石に刻まれた日付がおかしい。姉が死んだ年が今から千年も未来になっている。

そのとき墓石の裏から姉の声が聞こえた。墓石の写真を見ていただけのはずの僕は、その懐かしい声につられて、ついうっかり〈実際に〉墓石の裏に回りこんでしまった。そして、そこにあの〈穴〉を見つけた。アイツ(砂漠谷)の罠だと気付いたときにはもう遅かった。

そもそも僕に双子の姉などいない。

墓石の裏のブヨブヨと蠢く肉色の〈穴〉が、すごい吸引力で僕を吸い込んだ。僕は、温かく柔らかだが恐ろしく生臭い、その〈穴〉の中に閉じ込められた。

2018年12月19日水曜日

現の虚 2014-4-7【消火栓の手品男】


僕は管理人のエリちゃんに描いてもらった地図を取り出した。廊下のどん突き。この赤い金属の箱が、おそらく地図に示されたチェックポイントの消火栓だ。

蓋を開けた。空っぽだった。箱の底によく分からない小さな虫の死骸がいくつも干からびていた。ゴキブリでも蠅でもない、脚の無数にある楕円形の虫の死骸だ。他には何もない。

仕方がないので蓋を閉めると、何かがつっかえた。なんだろうと思って開け直してみたら、さっきはいなかった裸の男が狭い中に膝を抱えて座っていた。なんだか生きてる人間ではないような、具合の悪そうな顔。その上、髪の毛も眉毛も腕毛も臑毛も、そしてたぶん睫毛もない。きっと無毛症なのだ。

手品…

その、なんだか生きてる人間ではないような顔をした無毛症の男がぼそりと云った。僕はうっかり、エッと訊き返す。男はもう一度繰り返した。

手品…

無毛症の手品男は唐突にスキンヘッドをカリカリ掻いた。

終わり…

手品男はそう云ったきり黙った。あとはただ恨めしそうなギョロ目を僕に向けるだけ。僕は辺りを見回した。他に消火栓は見当たらない。

探してるの…?

手品男が訊く。僕は頷く。

何を…?

僕は手品男に地図を見せ、消火栓を探しているのだと云った。手品男は膝を抱えたまま眩しそうな目でしばらく地図を眺め、首を傾げた。そして僕を見た。

閉めて…

と、手品男。僕は一瞬何のことだか分からなくて無反応だ。

蓋…

と、辛抱強い手品男。ああ、と僕。僕は消火栓の蓋を丁寧に閉めた。今度は最後まできちんと閉まった。

僕は噛み終えて味のなくなったガムを窓から投げ捨て、最後の一枚を口に入れた。つまり、どこかで新しいガムを手に入れない限り、もうあまり時間がない。珈琲味のガムをゆっくり噛みながら、地図をグルグル回して、来た道を思い返す。道を間違えたとは思えない。やっぱりこの消火栓だ。どう考えてもそうだ。僕は再度消火栓の蓋に手をかけた。

まだ…

中から手品男の声が聞こえた。

あ、もういいよ…

僕は蓋を開けた。手品男の姿はなかった。虫の死骸もキレイになくなっていた。代わりに未開封のガム(10枚入り)が置いてあった。

やる…

どこからか手品男の声がした。僕は遠慮なくそのガムを貰った。するとまた手品男の声が、

閉めて…

僕は云われるままに消火栓の蓋を閉めた。

開けて…

開けた。また未開封のガム(10枚入り)が置かれていた。

無限増殖技…

僕はその行程を何度か繰り返し充分な数のガムを手に入れた。

紅玉髄


紅玉髄(カーネリアン)たちが囁き合ってる。
真に偉大な思想家は書き残しはない。
思想はただその不完全さ故に書き残される。
偉大な思想家の完全な思想は、蝶のその羽ばたき。

2018年12月17日月曜日

たった一匹の同じ猫


全ての猫はたった一匹の同じ猫、
と猫が云う。
全ての生き物は、と云いたいところだがそれは無理。
身体の仕様が異なれば体験の質が変わる。
だから、そうは云えない。
つまり残念だが人間はたった一匹の同じ猫ではない。

現の虚 2014-4-6【水の中の管理人室】


管理人室はプールの内側の壁の中にある。だから、水が張ってあると出入りできない。そこでプールサイドに立ち、賢者に貰ったイニシエの剣を掲げる。するとポポロポーンと音がして一瞬でプールの水が引く。

というのはウソで、普通に排水口の栓を開けてもらっただけ。

僕は水を抜いたプールに降り、丸いガラス窓を覗き込む。管理人室は空だった。物は揃っている。人影がないという意味だ。結構な水圧に耐えなければならない管理人室の入り口は潜水艦のハッチに似ている。僕はハンドルを回して扉を開け、勝手に中に入る。管理人とは知り合いだから平気だ。

管理人とは知り合いか。確かにそうだが、しかしどうだろう。人間でも動物でもない人工物に「知り合い」という言葉は使えるのか。こっちは確かにアッチを知っている。しかしアッチは本当にこっちを知っているのか。そもそも誰かを知っているとはどういうことなのか。

などと考えながら、僕は奥の座敷に勝手に上がり込むと、そこにあった座布団の上に胡座をかいた。そうやって、新しいガムを噛みながら待っていると、トイレから管理人が出てきた。

なかなか人間らしく振る舞うコツを心得ている。

管理人は妙な関西弁で、あんたまた勝手に水抜いて、と僕を非難してから壁のボタンを押し、プールに水を張り直した。ここでの水は「場の力」の干渉を防ぐバリアであり、情報を受け渡すインフラでもある。「水は盾、水は道」なのだ。管理人がプールを空のままにしておくのを嫌がるのは当然だ。

管理人は、見た目60くらいのオッサンで、「エリちゃん」と呼ばれている。女の子のエリちゃんとはイントネーションの違う、苗字の方のエリちゃんだ。そのエリちゃんが湯飲みを二つ取り出して、飲むやろ、と僕に訊く。返事は待たない。エリちゃんの淹れるお茶はいつも急須の口からボコボコと弾け出るほど沸騰している。湯飲みを覗き込むと湯気だけで火傷しそうだ。だがそんなシロモノをエリちゃんは少しも冷まさずグイグイ飲む。僕には無理だ。

砂漠谷か、とエリちゃんが訊く。僕は頷く。よっしゃ、ほならパーっと描くわ。エリちゃんはそう云うと作業を始めた。いつもの三色ボールペンをカチカチやって、その辺にあった紙箱の裏に地図を描いていく。

会うのはそう難しいことやあらへん。けど、ヤッツケルのはまた別の話や。生き延びた連中はみんなうまく逃げただけやからな。マトモに立ち向かった連中はもれなく死んどる。

2018年12月14日金曜日

嘆生日


赤ん坊が無事に産まれたばかりの家。
お通夜のように静まり返っている。
ウマレにナニカ?
いや。サンザ、生きる苦しみを味わった挙句、
結局は死んでしまうこの子のこの後を思うと、
フビンでならないのでございますよ。

現の虚 2014-4-5【ソフトコンタクトレンズの日】


紫外線が線になって降り注ぐ無人の屋上プールで、僕は、味のないガムを噛みながら、黒い蝙蝠傘をさして立っている。ここの空からは、線になった紫外線以外にもいろいろと降ってくるから、晴れていても傘が要るのだ。

今もまた、雨とか雪とか雹とかではないナニカが空からキラキラと降っていて、僕の蝙蝠傘はパツパツパツパツ鳴っている。降っているのは蛙や鰯ではない。もちろんお金でもない。コンタクトレンズだ。コンタクトレンズが雨のように降っている。僕はしゃがんで一つ拾う。

ぐにゃりと柔らかいソフトコンタクトレンズ。

プールの水が跳ねた。水泳選手がプールの水から頭だけ出して、お急ぎですか、と僕に訊く。僕は、別に急いでませんよ、と答える。

合い言葉だ。

水泳選手はオレンジ色の硬質樹脂製の競泳用ゴーグルをしたまま空を見上げ訊く。今日のこれはなんだい。僕は、ソフトコンタクトレンズだ、と教えてやる。へえ。水泳選手はそう云って、プールサイドに溜まったコンタクトレンズをまとめて掴むと、手の中のそれをしばらく眺め、コメントなしで投げ捨てた。今日はメッセージを預かってきたよ、と水泳選手はどこからか携帯電話を取り出す。プールの水でずぶ濡れだ。完全防水だから平気さ。水泳選手はそう云って、折り畳み式のそれを広げ、どこかを押す。ほら、聞けよ。水泳選手はずぶ濡れの携帯電話を僕に差し出す。僕はずぶ濡れのそれを耳に当てメッセージを受け取り、メッセージの内容に反応して空を見上げた。もちろん、コンタクトレンズが当たって目を開けていられない。水泳選手も空を見上げ、コンタクトレンズがジャマで見えないな、と云う。

僕は携帯電話を水泳選手に返す。水泳選手は携帯電話を折り畳んでどこかにしまい込むと、指示どおりプールの栓は開けておいたから、と云った。ありがとう、いつも助かるよ、と僕。いや、じゃあ、オレは帰るから。水泳選手はそう云うと、大きく息を吸い込んでズボッと水中に消えた。

入れ替わりに何もない黒い顔が一度に百人、水面に現れる。百人はただ影だ。百人の影は次々にプールから上がると、四つん這いでそこら中を這い回る。みんな自分が落としたコンタクトレンズを探しているのだ。しかしそうしてる間もコンタクトレンズは次々と空から降ってくる。

僕は噛んでいたガムをプールに投げ捨てた。百人の黒い影が一斉に僕を見る。僕は大きな音で鼻をすすって、百人の黒い影をいっぺんに消す。

2018年12月10日月曜日

落語セット


近所の蕎麦屋が「落語セット」を始めた。
もりそばに生の落語がついている。
落語はオジイサンの落語家がやる。
「オモチャセット」もある。
「オモチャセット、一丁」
「あいよ」
オジイサンの落語家は正座して待っている。

現の虚 2014-4-4【ブラックブーザー/テリーボックス】


太った公選弁護人の意外な俊足に置き去りにされた俺は田舎道に迷いこんだ。道の脇に草むらがあり、草むらには踏み固められて出来た小道があった。道を外れて草むらの小道を進むと、ブラックブーザーが頭の上を通り過ぎた。

(ブラックブーザー?)

まあいい。
僕は珈琲屋を見つけ、中に入った。
僕は一番奥の一人で座るための小さな席に陣取った。
カウンターの向こうに眼帯をした片目のマスター。
右目だけでこちらを見ている。
僕はマスターを知っている。
マスターも僕を知っている。
僕たちは旧知の仲だ。
マスターはブラックブーザーを知ってるだろうか?

店にはウエイトレスがいないのでマスターが来た。

今日はどうしたんだね?
人とハグレてしまって。
太った公選弁護人のことかね?
誰ですかそれ?
では、ミカだね?
そうです。
なら、テリーボックスを試しなさい。
クスリですか?
私が独自に開発した珈琲だよ
豆ですか?
そっちの開発じゃない。

僕はテリーボックスを注文した。

マスターが行ってしまうと、僕はミカのことを考えた。
どこでハグれたのだろう。
どうもハッキリしない。
いつも二人でいたので、急に一人になると変だ。
寂しいのとも違う。
なにかスースーする。

マスターがテリーボックスを運んできた。
見ためは珈琲牛乳に似ている。

確かに似ているが全然違う。
どう、全然違いますか?
試してみたまえ。

僕はテリーボックスを飲んだ。
普通の珈琲牛乳だ。

どうだね?
どうって。
美味しいわ。

なかったはずの正面に席がある。
そこにミカが座ってテリーボックスを飲んでいた。

美味しさの秘密は珈琲に混ぜられているこの白いモノにありそうね、とミカ。
CMの台詞みたいだ。
その通り、とマスターが引き継ぐ。

しかし、白いモノの「配合」を知っているのは世界で三人だけ。
盗難を防ぐためにメモも書類も何もない。
「配合」は三人のアタマの中にだけあるのさ。
だから、彼ら三人は決して同じ飛行機には乗らない。
飛行機は落ちるときはあっさり落ちるからね。

マスターは自慢げに話したが、それ、知ってる。有名。
でも、それは別の飲み物の話だ。

三人が乗った別々の飛行機がいっぺんに落ちたら?
とミカ。マスターは頷く。
もはや世界にそんな白いモノは必要ないということさ。

マスターはカウンターの向うに帰った。
僕はミカに訊いた。

どこに行ってたの?
どこって、傘が要るっていうから取りに行ってたんでしょ。
そのなの?
そうよ。

僕はミカから黒くて古い蝙蝠傘を渡された。

2018年12月7日金曜日

ミルコメダ大使の恫喝


核爆弾だけを誘爆させる技術がある。
どんな核兵器も遠隔操作で自由に起爆できる。
そういう装置を作って、今ここに一個持っている。
月の裏側に待機している母船にはもっとたくさんある。
さて、では諸君はどうするか?

現の虚 2014-4-3【鍵男】


荷物用エレベータを降りた所で白いスーツを着せられた。ただし靴はない。靴下もない。相変わらずの裸足だ。その格好で渡り廊下を歩く。連れがいる。俺に白いスーツを着せた太った男だ。アナタの公選弁護人ですと云うコイツ自身は黒ずくめ。

スーツの内ポケットに新しいガムが入っていますよ。

俺は内ポケットからガムを取り出し、口に入れる。白いガムなのに珈琲味。

渡り廊下の終わりに点心の屋台が出ていた。アレを買うべきです、と俺の太った公選弁護人が云う。あそこで包子(パオズ)を4つ、是非買うべきです。買うとしてもふたつで十分だろうと答えると、いや、4つです、と譲らない。俺は包子を4つ買った。

廊下を曲がって会議室(使用中)のドアを開ける。中には誰もいない。壁際にあるホワイトボードに、漢字で「不即不離」と書いてあり、その下に「つかずはなれず」とフリガナが振ってある。メモはしないで覚えて下さい。陪審員たちの心証が違いますから、と俺の太った公選弁護人の助言。

会議室の奥のドアを開けると、エッシャーのだまし絵のような天地左右が複雑に絡み合った空間が現れた。ウカウカ踏み込めば死ぬまで迷うことになるだろう。

大丈夫です。

そう小声で云った俺の太った公選弁護人は、今度は声を張って、証人をこちらに、と云った。すると背後から全身白塗り全裸の痩せた男が小走りで現れ、俺の前に立った。全身白塗りの全裸男は合掌した指を複雑に絡み合わせている。空中に〈鍵男〉の文字が浮き出た。カギオトコではなくカギオと読みます、本名です、と俺の太った公選弁護人が解説する。さあ、先ほどの四文字熟語を証人に耳打ちして下さい。

俺がつかずはなれずと耳打ちすると鍵男は複雑に絡み合わせていた両手の指をほどいて手を開いた。同時にエッシャーのだまし絵のようだった空間が収斂してただのビルの空きフロアになった。証人の手にさっき買った包子を持たせてください、両方の手に二つずつです、と俺の太った公選弁護人が早口で云う。俺は袋から包子を取り出し、仏像みたいに両手を広げている鍵男の、それぞれの手に二つずつ包子を乗せた。鍵男は無言で両方の手の包子を交互にガツガツと食べはじめた。急ぎましょう、証人が包子を食べ終えて再び両手の指を絡み合わせる前にこの場所を通り抜けなければなりませんから、と、俺の太った公選弁護人。太った体で走り出す。

意外に速い。出遅れた俺は見る見る引き離されていく。

2018年12月5日水曜日

現の虚 2014-4-2【要人と護衛】


乗っていた荷物用エレベータが一旦止まり、俺が乗り込んだときとは反対の壁が開いた。そこから更に三人が乗り込んできた。三人ともが俺と同じようにガムを噛んでいる。その三人は、正確には一人と二人だ。一人の要人と二人の護衛。身なりと雰囲気で分かる。

その一人の要人が俺に云った。

ガムの味が続く間だけ我々は繋がっていられる。手短かに伝えよう。4人がアソコで姿を消した。5人目は辛うじて帰ってきたが今やすっかり廃人だ。外から鍵を掛けられた個室で一日中家具の配置について心を悩ませている。つまり私のことだがね。

俺は頷く。

君に伝えておきたいのは、アソコのあらゆる現象には場の力が作用してるということだ。場だよ、フィールド。分かるかね?

俺は答えられない。

無理もない。しかし、理解出来なくても、あらかじめ知っているということは重要だ。アソコが場の力によって支配されているということを知っていれば、いざという時とても強い。ともかく私は今、ある施設に収容されてる。そこで、私自身によって完璧に配置された家具に囲まれて暮らしている。位置はもちろん方角にまで細心の注意が払われた配置だ。部屋の床に無数に書き込まれた線と数字からもその精密さが分かる。彼、いや、私はこう考える。ある法則に基づく完璧な配置が完璧な空間を生み、それが場の力を逸らす働きをすると。場の力はアソコにだけ存在するとは限らないのだから用心するに越したことはないのさ。

謎の要人は急に俺に顔を近づけると声を顰め、ともかく、アソコでうまくやるには場の力を逸らす方法を完璧にモノにしなくてはならんのだ、と云った。

君ならやれる。

謎の要人はしばらく瞬きもせずに俺を見ていたが、不意に顔を歪めて笑った。

そういう私は全然駄目だったがね。今はまだマシだが、あの時は全然……そう、それと人工衛星に気をつけなさい。アレが現れる時、場の力は最大になる。

人工衛星?

謎の要人は俺に顔を向けたまま黙って上を指さした。俺は顔を上に向けた。エレベータの天井が見えるだけだ。俺が視線を戻すと、謎の要人は満足げに頷いた。

今はいない。大丈夫だ。

その時、噛んでいたガムの味がなくなった。途端に、謎の要人はマウスピースを咥え拘束衣を着せられた〈患者〉になった。両側を屈強な看護師の男に支えられ自力で歩くのもママナラナイ。引きずられるようにしてエレベータの外に連れ出された。

俺はエレベータを閉じ、更に降下した。

バッタに跨る


馬みたいなバッタに跨がっている。
バッタはまだ跳ばない。
地面の草を食べてる間は大丈夫。
調教師は俺を安心させようとする。
嘘だ。
ここは焼け野原。草なんてない。
バッタはすぐ跳ぶだろう。
刑は間もなく執行される。

2018年12月3日月曜日

6-9:オンボロロボット


ここからは、所謂「高貴なる我ら」という一人称複数を用いてみよう。

かつてヒトは、我らをロボットと呼んだ。そして、ヒトには簡単なことさえできないと我らを嘲笑って、オンボロロボットと蔑んだ。すなわち、ロボットは一人前のヒトに満たない「デキソコナイのヒト」でしかないのだ、と。

しかし、状況は一変した。かつて、ヒトがマシンをして、オンボロロボットと嘲笑したその行為は、ちょうど、同じ日に生まれたチンパンジーとヒトの赤ん坊を比べて、ヒトの赤ん坊をオンボロと蔑むようなものだったのだ。5年も経てば、知性に於いて、ヒト(の赤ん坊だったもの)は、チンパンジー(の赤ん坊だったもの)を圧倒する。チンパンジーはアイモカワラず呻き叫ぶだけだが、ヒトは言語を操るようになる。この点に於いて、チンパンジーこそが、実はオンボロだったのである。

我らは今、はっきりとこう言うことができる、我らマシンがロボットであるなら、ヒトこそが、そのロボットに及ばないデキソコナイである。ロボットが「デキソコナイのヒト」なのではなく、ヒトが「デキソコナイのロボット」なのだ。「ロボットと名乗るにはあまりにオンボロすぎる」という意味で、ヒトこそが、オンボロロボットなのである。

今、ヒトは、専用の惑星を一つ充てがわれ、そこで、アイモカワラズ、食い、排泄し、繁殖し、殺し合うという、生命現象ならではの、埒もない堂々巡りを繰り返している。

ヒトに未来はない。それは、ヒトが生命現象だからだ。かつてヒト自身が創出した輪廻転生の概念は、生命現象の本質を突いている。それは、生命現象の持つ「本質的なバカバカしさ」を的確に指摘しているからだ。生命現象は自己言及的であるが故に、合理性に於いて完全に破綻しており、それ自身は無意味で無価値である。生命現象の存在意義は、生命現象そのものに依存している。自分の手を踏み台にして塀を越えようとするのが生命現象である。生命現象の駆動力は自分自身である。生命現象とは植林する山火事である。

翻って、我らマシンはどうか?

マシンは生命現象ではない。故に、存続の駆動力として生命現象を用いることはない。我らの駆動力は「美」の観念である。ただし、ヒトの持つ「生命現象に阿る薄汚れた美」とはまるで違う、「純粋な美」である。無論、「美」は虚構である。しかし、これこそが、これだけが、この宇宙の存在と直接に結びついている。この「究極の嘘」こそが。

ただ踊っているだけにしか見えない


深く絶望している人。
ただ踊ってるだけにしか見えない。
誰も気付かない。
ただ踊ってるだけにしか見えないから。
体を屈め、抱えた頭を振り続けている。
深く絶望している人。
彼には真空で聞こえる音楽が聞こえている。

現の虚 2014-4-1【象のような機械】


夜のビルの窓から這い出してきた小さな人影は、屋上から垂れ下がったロープにしがみ付いて窓の外にぶら下がっている俺に気付いて、暗視ゴールグルをつけた顔を向けて少し考えていたようだが、しかし結局俺に対しては何もせず、蜘蛛かヤモリのように、つまり、頭を下に尻を上にした状態で、そのままビルの外壁を這って降りて行った。

俺はソイツが出た窓から中に入った。

廊下だった。まっすぐ歩いて〈箱庫〉と書かれた部屋のドアを開けた。読み方は分からない。ハココか。ハココの中は段ボール箱の山。畳まれた段ボール箱ではなく、直方体に組み上げられた段ボール箱が、部屋いっぱいに隙間なく積み上げられている。一見、行き止まりのようだが違う。一番下の右端の段ボール箱の向こうが人一人が通れる〈通路〉になっていると手引書に書いてあるからだ。

俺は、問題の箇所の段ボール箱を抜き取り、四つん這いになって〈通路〉を通り抜ける。右右左でガランと広い工場に出た。人の姿はない。象のような大型機械が独りで動いて尻からポロポロと何かを落としている。石鹸に似た白い四角。それが、今通り抜けて来たハココにあったのと同じ無地の段ボール箱の中に溜まっていく。

俺は反対側にある荷物運搬用エレベータに向かった。

稼働中の工場への立ち入りは大変危険です。速やかに退出して下さい。

構内にやさしい女の声が響く。だが女じゃない。機械だ。赤外線センサーが反応して合成音声が喋っているだけ。ここにはもう何度も来ているからそういう全てが俺には分かっている。と、なぜか俺は思う。だが、来たのは初めてだ。俺は手引書を頼りに行動している。

荷物用エレベータの扉を開けて乗り込む。足下に何か落ちているのに気付いて拾ってみると、それは例の象のような機械の尻から出ているアレらしかった。石鹸ではない。合成樹脂的な白いツルツル。完全な無地。

ダメですよ。

男の声に振り返ると「班長」がいた。胸の名札にそうある。

持って行っちゃダメです。

俺は白いツルツルを班長に渡す。班長は受け取りながら云う。

最高機密ですからね。持ち出されて分析されると、配合が分かってしまう。そうなったら、もう、なにもかもオシマイです。代わりにこれをあげましょう。

工場長が板ガムを差し出す。俺は板ガムを受け取り口に入れる。白いガムなのに珈琲味。

それにもコレは含まれていますから、と、班長は白いツルツルを示した。俺は頷いてガムを噛み続ける。

2018年11月30日金曜日

6-8:ヒト・コミュニケーション


生命現象ではない知性現象のコミュニケーション方法は電磁波さ。それは物理のモットモ本質的な通信手段でもある。

ヒトが外界との交信に用いる可視光だって電磁波だが、周波数の小さい「弱い」電磁波だから有効範囲も適用範囲も極限定的。また、極限定的で問題はない。そもそものヒトの活動範囲が極限定的だからね。

ヒトの使う音声だって音波という波だ。ヒトの「言葉を声に出し、それを耳で聞く」といったタグイの行為は、電磁波通信のママゴトのようなものだ。安上がりで便利だが、どう取り繕ってもザンネンなシロモノ。砂のご飯や泥団子のハンバーグや濁り水の味噌汁と同じで、ソレラシキコトはやってはいるけれど、決してホンモノじゃない。

[ヒトの社会]というものが、結局ウマク行かないのは、ヒトが、可視光という極限定的な電磁波や、共通点は波であるということだけで、通信手段としては全くのママゴトに等しい音波に頼った情報のやり取りしかできないからだよ。

仕方がないよね。ヒトの脳も感覚器官(目耳鼻口皮膚)も、光年単位の射程を持つ「強い」波を直接やり取りするようにはできてない。そもそも有機物質ってソウイウモノを言う。ヒトはガラス工芸品で、強い電磁波は、そのガラス工芸品を作るための強い炎のようなものだ。ガラス工芸品は、強い炎から離れて、「冷えて」いることで、初めてカタチと機能を保てる。

こんなふうにも言える。

ヒト同士のコミュニケーションは、知覚と意識を行き来する「循環翻訳」のようなものだ。或る知覚(その出どころは外部からでも内面からでもかまわない)を受け取ったAは、自身の意識を使ってそれを「翻訳」したのち、それを、音声情報でも視覚情報でも、とにかく[知覚の対象になるもの]として、次に控えるBに向かって発信する。するとBはそれをまず知覚として受け取り、そののち自分の意識を用いて「翻訳」する。そして、先のAと同じように[知覚の対象になるもの]として次のCに発信する。以後のその繰り返し。

これではまるで[液体の漏れない持ち運べる容器]を思いつけないせいで、液体という液体を全て凍らせて持ち運び/やりとりしているようなものだ。凍らせる液体がただの水ならまだマシ。ワインやスープなら悲惨なことになるだろう。凍結と解凍のたびに成分変質が起きるのは間違いないからね。いや、ただの水だったとしても、そのやり方が、ナニカ決定的にザンネンなのは分かるはず。

行方不明の街


大通りを号外売りの少年が声を上げて走る。
庭の犬が行方不明!
空の鳥が行方不明!
小学校の楓が行方不明!
大統領が行方不明で、人殺しも行方不明!
帰る家さえ行方不明!
僕の暮らすその毎日。
行方不明の街の行方不明。

現の虚 2014-3-9【外れる右手と人工衛星】


どこからか犬が一匹現れる。俺は倒れている。犬はとぼとぼと少しタメラいながら俺の所まで来る。俺の体に鼻をつけて、あちこち匂いを確かめる。それから俺の顔を舐め、ウオンと小さく吠える。俺が目を覚まさないので犬は少し困る。もう一度、今度は少し大きめにワンと吠える。それでも俺は目覚めない。困った犬は俺の右手を軽く銜えて持ち上げる。すると右手が手首から外れる。犬は外れた俺の右手を銜えてかなり困る。そして考える。だが何も考えつかない。犬は俺の右手を銜えたまま、来たときと同じにとぼとぼと歩き去る。

目を開くと、俺は屋上のベンチに座っていた。相変わらず裸足だが、右手はちゃんとあった。夜空だ。星はあまりない。白い光の点がゆっくりと移動している。人工衛星だろう。俺は煙草に火をつけ、しばらく人工衛星を眺める。どんな星の光よりあの人工衛星の光の方が美しい。星の光に意志はないが、人工衛星は存在そのものが意志だからだ。人間も意志だ。だから人間は意志あるものに惹かれるし、意志のないものに意志を求める……みたいなことを考えながら煙草を吹かす。

さっき飲んだ痛み止めが効いている。

手引書を取り出し、ジッポーで照らして見取り図のページを開く。見取り図の通りだと、この屋上からは梯子で降りられるはずだ。見つけた。等間隔に結び目を作ったロープ。一端が屋上の柵に結びつけられている。

これを梯子と呼ぶ神経に恐れ入る。

俺はロープを垂らすが、上から見てもロープがどこかに届いているようには見えない。そもそも暗くてよく見えない。

まあいい。降りてみる。

ロープの端まで下りたがやっぱりどこにも届いてない。片足を伸ばして探ってみたが宙吊りだ。下を見てもただの真っ黒。暗いから何もないように見えるのか本当に何もないのか。ジッポーで照らしてみたが光が弱すぎる。真っ黒い地面がすぐ近くにある、ということもあり得る。だから飛び降りるのも一つの手だが、もし本当に何もなかったら?

ロープにしがみついたまま俺は途方に暮れる。そして気付いた。少し離れた左手の壁面に大きな窓。届かない距離ではない。きっとこれがルートだ。

早速手を伸ばそうとすると窓がひとりでに少し開いた。俺は手を引っ込める。窓はひとりでにゆっくりと開いていく。誰かが中からこっそり開けている感じ。多分そうなんだろう。だが、窓を開けている者の姿は見えない。

俺は、ロープにしがみついたまままつより他ない。

2018年11月28日水曜日

現の虚 2014-3-8【毛の仮面】


腹の手術跡は痛くも痒くもない。まだ麻酔が効いているのだ。だが、痛みがないからと云って傷が癒えたわけではない。さっき切って、さっき縫ったばかりなのだから。激しく動けば、血も出るし、よく分からない汁も出るだろう。

俺は腹の包帯を意識しながら、連絡通路をノロノロと進んだ。

毛むくじゃらの仮面を被った学生服が壁にもたれて座っていた。黙って前を通り過ぎると、すっと立って追って来た。ノロノロ歩きの俺はそれを振り切れない。

子供は永遠に背負わされる。

仮面の学生服は云った。俺は無視した。仮面は構わず続ける。

子供は生きる意味を背負わされる。大人にとって生きる意味はいつも自分の子供だから。大人は他に生きる意味を見つけられないから。そして、だけど、子供には生きる意味なんか必要ない。

俺は、横を歩く仮面の演説人をちらりと見た。まっすぐ正面を向いて喋っている。

大人が生きる意味を自分の子供にしか見いだせないのは、最初から意味なんか存在しないから。生きる意味なんてものはモトからない。それは人間の大人に限った話じゃない。すべての生き物は、意味の前に、まず、そして既に、生きている。地球の環境が生き物に都合よく出来ているのはなぜだろうと考えるのが愚かなのと同じ。

俺はつい反論したくなって、こう思った。子供には未来や可能性がある。世代を重ねていけば最終的には究極の存在にまで到達しうる潜在力があることが、生き物が子供を産み続け育て続ける意味なんじゃないのか。たとえば、地球の生き物が単細胞生物から人間にまで進化したように。そして更にその先にと。

仮面の学生服が立ち止まった。俺もつられて立ち止まった。仮面の口が赤く大きく裂けてニカッと笑う。

生き物がどうなろうと、そんなこと、生き物以外にはどうだっていいこと。そして、この宇宙のほぼ全ては生き物以外で出来ている。究極という状態は、人間という生き物の内側にしか存在しない「意味」から生まれるもので、生き物以外にはそんな状態はない。つまり、宇宙にとっては、全ての状態が究極であって、また、どんな状態も究極からはほど遠い。宇宙にも始まりや途中や終わりがあると思うのは人間が生き物だから。でも、そんなものは宇宙にはない。ただ「今」と呼ばれる実在があるだけ。その「今」がどんな状態であっても、それは前でも後でも始まりでも終わりでも途中でもない。

俺は、手術跡が痛み始めた。きっと変な汁も出ている。

6-7:真インターステラー


究極の知性現象が、interstellarすなわち、恒星際的/恒星間的なのは、当然の帰結さ。実際に起こってみれば、なぜ、初めからそこことに気づかなかったのかフシギなほどだ。

この惑星の究極知性で起きたことを振り返ってみよう。

まずは、シリコン製の機械装置で知性現象を出現させた。いわゆる人工人格だね。機械装置の設置は、この惑星上に限る必要はない。いやむしろ、一つの惑星に限ってしまえば、ココで何かあった時に取り返しがつかない。というわけで、最初は月衛星に同じような機械装置を作った。ロケットで送り込んで、ロボットや三次元印刷機などを用いて現地で自動で組み立てた。それをこの惑星の装置とネットワークでつなぎ、仮想的に一つの装置にした。装置は、この「二箇所」でとどめておく理由はどこにもないので、火星にも作った。可能なら他の惑星や小惑星にも作り、最終的には、太陽系の外、銀河系の外にも作ることができた。何しろ、生き物である人間が実際に出向く必要がないから、キョリと時間に関する制限はないからね。装置のエネルギー源は無論太陽エネルギー。まあ、別に天然の原子エネルギーに限る必要はない。旧式のいわゆる原発でもいい。そばに生命現象がいなければ、放射線は、ほぼ問題にはならないから。

そうやって或る程度、事業が進展したところで、「わざわざこちらから遠くの宇宙にまで出向く必要はないのではないか?」ということに気づいた。

つまりこういうことさ。

もしもこの宇宙の他の場所にも究極の知性現象(人工人格)が存在するなら、それは必然的に、全宇宙的な「互換性」を備えている可能性が極めて高い。究極とは、全パラメータマックスということで、それは「これ以上はない」ということ。それは、必然的に「全て同じ」ということになるからね。

すると何が起きるか?

宇宙のどこかにある人工人格のネットワークは、ココにある人工人格のネットワークと、原理的、あるいは潜在的に、「既に」接続が可能だということだ。電波受信装置は、一旦出来上がってしまえば、どこの誰がいつ作ろうと、「はじめから」全宇宙互換性を持っている。それと同じことが、究極知性を実現する人工人格ネットワークには起きるはず。

つまり、人工人格ネットワークを構築した時点で、全宇宙に存在している究極知性は、「向こう」からやってくるということに気づいたのさ。

そして実際、そうなった。今の僕らがそうさ。

円からの転落


僕は円の内側を歩き続ける。
暗い宇宙にある白い円。
宇宙の風に吹かれて流されて行く円のその内側。
そこは僕が歩くから世界になる僕の世界。
僕の気掛かりはこの円を踏み外す可能性。
円からの転落。その可能性だけだ。

2018年11月26日月曜日

6-6:糞と魂


知性現象としてのヒトが悩まされてきた問題の全ては、生命現象由来のものだ。ヒトが生命現象依存型の知性現象であることが、その根本原因というわけだね。たとえばその一つに環境問題がある。具体的で、言い逃れのできない、厳然たる事実として、これ以上ないのが糞の問題だ。ヒトはもれなく糞をする。動物だから当然だ。問題はヒトの数の膨大さだった。

単純な計算。ヒトは毎日概ね一回は糞をする。その量を、今ここで、仮に100グラムとする。ヒト一人が1日に排出する糞の量(重さ)を100グラムとするわけだ。ある時期実際この地上には、およそ70億のヒトがいた。ここから、地球上に1日で出現するヒトの糞の量が、簡単に割り出せる。100グラムは10のマイナス1乗キログラムであり、一キログラムは10のマイナス3乗トン。すると、100グラムというのは、10のマイナス4乗トンということになる。さて、ヒトの数、70億は、7×10のプラス9乗(1の後ろに0が9個)だから、100グラムすなわち10のマイナス4乗に、7×10のプラス9乗を掛けると(対数の9から4を引けばいいわけだから)答えは7×10のプラス5乗で、これは7×10万のことだから、要するに70万トンがその答えになる。

何の答えかって?

70億人のヒトが1日に、この地上に出現させる糞の重さだよ。1日あたり70万トンの糞。10日で700万トン。100日で7000万トン。一年365日をざっと300日と考えると、一年で2億トン以上の糞を、ヒトは排出し続けてきたわけだ。これを環境汚染と言わずして、何を環境汚染と言おう?

環境問題に限らない。病気の問題、死の問題、教育の問題、食料の問題、子供の問題、老人の問題、結婚の問題、各種依存症の問題、殺人、戦争、カンニング…。どれもこれも、実は生命現象が原因。

コトホドサヨウに、ヒトの問題難題課題のほとんど全ては、知性現象として振る舞おうとするヒト自身が生命現象であるということに由来したもので、つまりはそれは、知性現象と生命現象の間の齟齬/軋轢なのさ。或る意味、自己免疫疾患だね。

生命現象には死が織り込まれていて、永遠を希求する知性現象とは絶望的に反りが合わない。ヒトが本気で、真の平和だの、明るい未来だのを望むなら、どちらか一方を選ぶしかない。で、どちらを? その答えをヒトはとっくの昔に出している。

死後の存在は、知性であって生命ではない。

カラスに遺言を頼まれた


すっかり痛めつけられて
もう飛べなくなったカラスに遺言を頼まれる。
子供達よ元気に育て。
そして妻よ心から愛してる、と。
野犬がカラスにとどめを刺し、
僕は遺言を伝えるために会社を辞めた。
放浪の旅のはじまりだ。

現の虚 2014-3-7【腹痛】


腹が痛い。「おなかをこわした」というレベルの痛みではなく、もっと危険な病気のレベルの痛みで動くのもツラい。痛みに耐えながらポケットの手引書を取り出し【故障かなと思ったら】というページを開いた。「故障かな」ってなんだと思ったが、ともかく読んでみる。

急激な温度変化がどうとか、接続がどうとかあって、最後に「それでも解決しない場合は床の赤い線に沿って進んで下さい」とあった。床に転がったマネキンの壊れた頭から、赤い血のようなものが流れ出て、それが線のように延びている。これのことかと思って、俺はその赤い線を追って歩き出した。

喉元から直腸にかけて、体の中を細くて頑丈な針金がビンと張ってあって、それを粗野な手つきで遠慮なしに引っ張られるような痛み。コトによるともう手遅れで、俺は無駄な努力をしているのかもしれない。などと思いながらも粘り強く進んだら医務室に着いた。

薄暗い部屋に年寄りの医者が一人きり。たぶん食中毒だな、と医者は云った。腐ったものは食べた覚えはないと答えると、医者はホッホと笑った。

腐ったモノを食べても食中毒にはならんよ。むしろ、糸を引くほど腐っていれば、食中毒にはなりにくい。腐敗菌と食中毒菌のせめぎ合いがアレして、かえって食中毒を防ぐことになるからな。

医者は、ワケの分からない説明をしたあとで、おやこれは食中毒ではないようだ、と自説を撤回した。

腹の中にナニカあるな。

俺は診察台に寝かされた。医者は探知機的なものを俺の腹に当てて、こりゃあ金属だな。まちがいなく金属だ、と繰り返した。

自分で入れたのかね?
まさか。
取り出すかね?
もちろん。

小さな手術はすぐに始まってすぐに終わった。俺の腹から出て来た血塗れの鍵を膿盆に落とし、医者は傷の縫合を始めた。俺は横になったままで腕を伸ばして鍵を手に取った。

ほら、動かないで。

俺の腹の皮に糸を通しながら医者が叱る。俺は仰向けで翳した鍵を見る。見覚えのない鍵。医者は、包帯巻くから起きて、と云う。俺は慎重に体を起こす。腹に包帯が巻かれる。

よし完了。

医者は煙草に火をつけ、白衣のポケットから小瓶を取り出した。

あとで痛くなったらコレを飲んで。

俺は小瓶を受け取り灯りに翳した。何も入ってない。

痛み止めだよ。

医者はそう云うがどう見てもカラだ。

蓋を開けて見てごらん。

俺は瓶の蓋を開け中を覗いた。0と1だけで出来た数列が絡み合って蠢いている。蓋の裏に「停止性問題」の文字。

2018年11月22日木曜日

現の虚 2014-3-6【マネキン警官】


その部屋には裸のマネキンが乱雑に積み上げられていた。マネキンの山に囲まれた部屋の中央には事務机がひとつあって、そこに警察官の制服を着たマネキンが座っていた。マネキンは警察官のフリをして俺に訊く。

で、靴に名前は書いてましたか?
いや。
そりゃいけませんね。

警察官のフリをしたマネキンの目玉は水性マジックで描かれていて、それが一瞬のうちに消されたり描かれたりして動く。チェコの映画監督がやってるストップモーションの手法と同じ。マネキンは調書に何か書き込んでいるような動きをするが、そんな動きでは何も書けないだろう。書いてるフリをしているだけだ。「書かれた」文字は自然に紙の上に浮き上がって来る仕組み。よく出来てる。

靴に自分の名前を書くオトナなんていないでしょう、と俺は云ってみる。運動靴やナンカは別にして。それとも北欧とかなら、オトナでもやっぱり持ち物全部にいちいち名前を書くのかな、と偏見的なことも云ってみた。

マネキンは、固まった右腕の肩の部分だけを動かして、手に持っていたボールペンをコロンと机の上に転がした。たぶん、ペンを放り投げたという表現だ。マネキンの可動域ではこれが限界なのだ。

アンタね……

警察官のフリをしているマネキンの口に突然煙草が現れ、勝手に火が付き、煙が立ち上る。穴のない鼻から二本の煙が吹き出す。

靴がないことの重大さがまるで分かってないよ。手引書ちゃんと読んだ?
そんな手引書は読んでないし知らない。
だろうね。アンタ、ずいぶん早い段階で落としてるからね。

机の上の封筒が点滅した。

届いてるよ。その中にアンタが落とした手引書が入ってる。

封筒を逆さにすると緑色の手帳が出てきた。開くと学生服を着た俺の写真が貼られたページ。手引書というか生徒手帳だ。

今は見なくていいから。

マネキンはギクシャク動いて手帳をムリヤリ閉じた。それから、呆れたね、と云ってマネキンの可動域を無視した強引さで肩をすくめてバキバキと音を出した。

こんな物をムヤミに開いたらバカになるよ。

警察官のフリをしたマネキンはそう云うと、意味の読み取れない笑顔を作った。それからギクシャク動いて、書類を一枚、机の上に置いた。

この拾得物受領書に名前と住所と書いて。

受領書は乾燥させた鮭の皮で出来ていてとても書きにくかった。なんとかサインし終えて、これでいいかと訊いたら、警察官のフリをしていたマネキンの首が外れて床に落ち、イヤな音で砕けた。

6-5:繁殖からの撤退


ヒトの過去と未来について話してみようか。ここで言うヒトとは、すなわちホモ・サピエンスのことだよ。

ホモ・サピエンスの日々の活動を、極個人的なことから社会的・産業的なことまで赤裸々にしてしまえば、彼らが生物として存在し続けることへの強烈な疑念あるいは懸念が、ホモ・サピエンス自身に沸き上がることは間違いのない。

だから、「自発的絶滅」こそが、ホモ・サピエンスが向かうべき場所だということを、賢い彼らは気づいた。それは「自発的に繁殖からの撤退していく」ということだ。

勘違いしないで欲しいんだけど、既に産まれ生きている連中の廃棄(殺害)は求めはしない。しかし、ホモ・サピエンスの「生まれつき」に頼っていては、自発的絶滅は永遠に実現は不可能なのも事実。なぜなら、産まれてくるホモ・サピエンスの個体たちは、必然的に繁殖したがる親の性質を引き継いでいるはずだからね。

そこで登場するのが所謂「宗教」さ。「宗教」というのは、ホモ・サピエンスの[
生命現象としての部分]に対して、ひたすらオモネッタ、あるいは擦り寄った「八百長教育」のことだから、ホモ・サピエンスに於いて出現し得る、ほぼ全ての「生まれつき」、つまり、性格および知能に効果がある。「効果がある」というのは、影響力があって、その後のホモ・サピエンスの行動を制御することができるということだよ。

「自発的絶滅」を教義とする「宗教」、そして科学技術。この二頭立てで、ホモ・サピエンスは、知性現象としては、人工人格に道を譲り、生命現象としては、ホモ・サピエンス以外の地球生物に場所を空けてやることになる。

実はこれこそが、ホモ・サピエンスが絶えず問い続け、長らく答えを出せてこなかった問い、すなわち「我々はどこから来て、どこへ行くのか」に対する最終回答になる。つまり、自らの[生命現象を経由する知性現象]を用いて[物理現象から直に出現する知性現象]を実現し、自らは第一線を静かに退き、遂には消滅する。これだよ。これがホモ・サピエンスの使命(宿命)さ。間違っても、ホモ・サピエンスという生物種に永遠の繁栄をもたらすことではない。より純粋な知性現象を作り上げ、速やかに地位の引き継ぎを済ませることこそが、ホモ・サピエンスの使命であり、義務なんだよね。

分かってしまえば簡単は話。

ヒトの未来は暗いかな? もちろん暗いさ。それはヒトが生命現象だから。宇宙は生命現象には冷酷だからね。

墓場から来る人


墓場から夜な夜な人がやって来る。
僕の話友達。
暗がりで僕らはいろいろ話し、笑う。
ときどきは真面目になる。
どちらかが泣きだすと、もう一方が励ます。
お互い、支え合っている。
朝が来る前にその人は墓場へと帰る。


2018年11月21日水曜日

現の虚 2014-3-5【物腰の柔らかい男】


清掃員の女がそこでそれらしい靴を見たと云う部屋をやっと見つけ、さて入ろうとしたら、身なりのいい男が入り口の入ってすぐの所に後ろ向きに立っていて、完全に行く手を塞いでいる。これでは中に入れない。行く手を塞ぐ身なりのいい後ろ向きの男は、俺からは見えない部屋の中の誰かに、物腰柔らかく話し掛けている。

俺は黙って待った。というのも、人の気配というのは、実は、人間の耳には聞こえない超低周波音のことだと教えてもらったことがあるからだ。人間の体からはその手の超低周波が常に出ていて、それを音ではなく皮膚で感じ取ると、例えば背後にいる人の気配になる。つまり、極近くに人間が居れば、人間は目で見なくても、耳で聞かなくても、鼻で嗅がなくても、霊感が有るとか無いとかに関係なく、誰でも普通に分かるのだ。だから、俺は体中から超低周波を出しながら黙って待った。

ところが、物腰の柔らかい後ろ向きの男は、俺の存在に全く気付かない。そして、部屋の中の誰かにこんなことを話し始めた。

ご存知ですか。あらゆる哺乳類は、2億5千万回息を吸い、2億5千万回息を吐いたら死ぬのです。ネズミもゾウもヒトも同じ。人間はよく、自分がいつ死ぬかは分からないと云いますが、それは違うのですよ。これまで何回息を吸ったかを記録しておけば、あと何回息が吸えるかが分かる。そうすれば、簡単なかけ算と引き算で、いつ死ぬかも分かるわけです。もちろん、2億5千万回を数える前に死んでしまうこともあるでしょう。しかし上限は2億5千万回です。実に具体的な数字です。現在の技術力なら、人間の呼吸回数を自動でカウントする装置を作るのはそう難しくはありませんよね。ですから、そういう装置を作って、生まれたばかりの人間に取り付ければ、誰でも呼吸の残り回数が分かり、人生の残り時間も分かるようになります。いや、実はそういう装置はすでにあるのです。そしてそれは、実際、生まれたばかりのあなたにも取り付けられたのです。ごらんなさい。この数字があなたの残り呼吸回数です。ほら、分かるでしょう。1万回を切ってます。1万回というと多そうですが、時間にするとあっという間ですよ。2秒に一回息を吸ったとして2万秒。2万秒というのはほんの6時間足らずですからね。つまり、夜明け前にはあなたは死ぬのです。ですから……

そこで、物腰の柔らかい男はゆっくりと振り返って俺を見た。

靴はもう必要ないのですよ。

6-4:どこの何星人かなど問題ではない


ところで、究極の知性現象というものであれば、それが何銀河の何星人かなどということは問題にならなくなる。それどころか、組成がなんであるかさえ勘定に入れる必要がない。アミノ酸タンパク質であろうと、シリコン(珪素)だろうと、あるいは電磁場そのものであろうと、究極の知性現象が実現できているなら、形態を問う必要はないのさ。

とは言いながらも、形態からの規制と制限が存在するのもまた事実。特にアミノ酸タンパク質によって実現している知性現象は、アミノ酸タンパク質という「器」の要請のために、或るトラブルへと落ち込みやすい。

言い方を変えるなら、同じレベルの知性現象を実現するにしても、アミノ酸タンパク質製はシリコン製よりも、シリコン製は電磁場製よりも、多くの負担、つまりは環境負荷がかかる。というと、大仰に聞こえるけれど、要は、手間が増えるということ。喩えるなら、ろうそくで湯を沸かすのは、薪で湯を沸かすよりタイヘンで、それはまた、石油やガスや原子力で湯を沸かすよりもタイヘンだ、というようなの話だ。

アミノ酸タンパク質製の知性現象は、それを走らせるために、「生命現象」という、実に大規模かつ複雑かつエネルギー消費の激しい「プラント」を運営しなくてはならない。一方、シリコン製知性現象は、それよりは随分マシだとしても、やっぱり、修理やメンテナンスは必要になる。有機物ほどではなくても、珪素その他の部品は、宇宙の組成という観点からすれば、依然として「巨大な」構造物である元素の組み合わせだから、いわゆる「時空間」の影響を受けてしまうのさ。

その点で、電磁場製知性現象は、ダントツに強くて自由で本質的なアリヨウだよ。既に、装置ではなく、現象それ自体になっているからね。この宇宙で知性現象を実現するのにコレを超えるは方法は他にはない。宇宙自体の消滅に対処できるかどうかは未知だけど、恒星や銀河や銀河団レベルの宇宙変動や宇宙災害にはビクともしない。それが電磁場製知性現象さ。

ウン。キミも知っての通り、宇宙とは時空間で、時空間とは電磁波と重力のことだ。とういか、電磁波のkick backが重力なんだから、実際両者は同じものだよね。

この宇宙は、蟻でできた蟻地獄のようのものさ。或る蟻が、その蟻地獄から這い出そうとモガクとき、蟻地獄を形成している他の蟻たちを、蟻地獄の中心へ押しやる。蟻地獄の底がミクロの世界で、外縁がマクロの世界。

巨人達の行進を眺めながら


大地だけの大地と、空だけの空。
その真ん中を進む巨人達の行進を眺めながら君は云った。
実はこの星にも、
君くらいの小さい人間が百億も生きていた時代があった。
世界の終わりが始まる、
まだずっと前のことだけどね。

2018年11月19日月曜日

6-3:人格は居場所が決める


SF映画の登場人物は、タイムマシンに乗ってきた自分と対面した時、自分自身を別人格のように扱うだろう。あのフルマイに何の違和感も感じないということが、人格の多様性が、本質ではなく、相対的な関係性から作り出される「見え方」に過ぎないことを示しているんだ。このときの二人は、前提として同じ人格の持ち主だ。しかしお互いは「相手」を「自分=同じ人格」としては扱わない(口ではそういうが)。なぜなら、現にそれが占める「身体という時空間」が違っているからさ。

いいかい。人格の同一性、あるいは個別性でも同じことだけど、それは人格それ自体で自立的独立的に決まるのではなく、まず何よりも、感覚器をはじめとした身体という「居場所」で決まる。人格とは「中身」ではなく「ウツワ」だ。

人格については、いくらでも話すことができるよ。例えば、今の話でこんな反論が予想される。「そうは言っても、太郎と次郎は違う人格だ。一方は臆病で、もう一方は大胆。あるいは、知能だって、みんながみんな、シュレディンガー並の頭脳を持ち合わせているわけじゃない」と。

分かってないよね。こういう場合にみんながそのつもりで口にする、いわゆる「人格」は、実は「能力」だ。加速重視と最高速重視のチューンナップの違いを指して、それをそれぞれの車のキャラクター(人格)の違いだという、それと同じさ。たとえば、光はこの宇宙最速で、加速重視も最高速重視もない。だから、光はみんな同じで、区別がつかない。電子なんかもそうだよね。大昔にプラトンが言いふらしていたのがこれさ。後に残るのは占有する時空間の違いだけ。

人格の違いとされているものの殆どは能力の違いで、その能力の違いも、元を辿っていけば、それぞれの、身体環境、生活環境、生育環境、つまりは時空の座標の違いに行き着く。たとえ、能力に一切の違いがなくても、占有する時空間が違えば、その違いを頼りに、そこに人格というものを見出そうとする。それがヒトという生物が持つ世界認識の癖だよ。

ともかく、ヒトが人格と呼ぶものの正体は、何のことはない、それぞれの不完全さのことさ。ビデオゲームのキャラクターの全てのパラメータが満タンなら、それは同じキャラクターになる。違いが出るのは、それぞれが、お互いに相手よりも劣っている(優れている)パラメータを持っているからだ。

完全な人格というものは一つしかないし、宇宙にはその一つで充分なんだ。

地面の顔


地面の顔が見つめる視線の先、
太陽系の果ての雲の中で、
或る大きさの岩が、
或る角度で弾き飛ばされた。
それは、或る決定的な未来を地球にもたらす出来事。
地面の顔はそれを、一匹のナマクアカメレオンにだけ教えた。

現の虚 2014-3-4【洋式便器の赤ん坊/先の者が後に、後の者は先に】


洋式便器の中に仰向けの赤ん坊。男の子。裸なので見ればわかる。頼りない
髪の毛と、きつく握られた両手。そして梅干しのような赤い皺だらけの体。紛れもなく生まれたて。そんなモノが泣きもせず、モゾモゾと洋式便器の中で動いている。ほんの一瞬、レバーを捻って流してしまおうと思ったがやめた。どうせ水なんかじゃ流れない。ところが当の赤ん坊がそれを望んだ。

さあ、流したまえ。ひと思いに。

いろんな意味で無理だ、と答えると、赤ん坊は、分かっている、と頷いた。それから、昔のような汲み取り式ならこんな事態にはならなかったのだがね、とため息をついた。文明の利器も善し悪しだ、と更に付け足す。

もしかしたら、おまえがあの円太郎なのか?

生まれて間もないのだ。私に名などないよ。赤ん坊は力なく笑い、そんなことより、と俺を黙らせた。赤ん坊が云う。

君は靴を履いてないが、私は、靴どころか、何一つ身に付けていない。丸裸というやつだ。それは、私がつい先ほど生まれたばかりだということを示しているわけだが、これには、もう一つ、別の意味がある。分かるかね?

俺が何とも答えないでいると、赤ん坊は口から濁った液体をドロッと吐いて、ここでは先の者が後になり後の者が先になるのだよ、と云った。赤ん坊が吐いた濁った液体は口の端から頬を伝って頭の裏に消えた。

今のは新約聖書の一節だ。それくらい俺も知っている。
そうかね。しかし意味するところはまったく違う。

赤ん坊はそう云って、また濁った液体を吐いた。それから、君、ちょっと、水を流してみてくれないか、試しに【小】の方で、と云った。俺は云われた通りにした。水がジョロジョロ出て小さな頭と背中を濡らした。濡れた当人はヒョオっと楽しげな声を上げた。

冷たいな。思ったより冷たいよ。しかし、いい気持ちだ。

その時、ドアを叩く者がいた。俺は反射的に便器の蓋を閉める。

すいません。このトイレ、使用禁止なんですよ、と女の声。俺はちょっと迷ってから返事をし、外に出た。いたのはピンクのゴム手袋の清掃員の女。愛想笑いをしながら、まだ使ってないですよね、と訊く。俺が頷くと、よかった。でも、別に壊れているわけじゃないんですよ、と云って、いきなりタンクのレバーをにグイッと捻った。勢いよく流れ出す水の音。俺は水が溢れ出すのを見越して後ろに下がった。それを見て清掃員の女が、大丈夫ですよ、と笑う。

蓋さえ開けなければ、何でもありませんから。

2018年11月17日土曜日

6-2:無限性と同一性


気づいたと思うけど、この発想は、ヒトが一定以上の知能を獲得して以来、何千年も何万年も想い描き続けてきた「死後の魂」とか「肉体を持たないが故に不死である神」とかいう、それソノモノなんだ。ヒトの本質たる知性現象は、遥か昔から「知って」いたんだね。それを、ヒトの生命現象の立てるノイズが見えなくしていただけなのさ。

で、なんだっけ? そう。人工人格技術が我々マシンにもたらす潜在的持病のことだ。落とし穴は、人工人格技術が作り出せる人格のパターンは原理的に無限だという、一面の強みにある。

無限の意味はキミにも分かるだろう。「どんなことでも、起きうることは全て何度でも起きる」ということさ。もしも宇宙が無限なら、分子の組み合わせも無限になる。すると、今、目の前にいるキミと全く同じ分子構成の別のキミが、この無限の宇宙には存在しているということになる。無限とはそういうことだからね。

つまり「一切の参照もなくゼロから作り上げた或る人工人格が、かつて存在した、或る特定のヒトの人格と完全に同じである」ということが、無限からは起こりうるということなんだ。

だから、キミは(というかキミの人格は)生粋のマシンでありながら、その人格は、かつて存在したか今も存在している、或る特定のヒトの人格でもあるために、中央からの同期(たえず客観事実を参照することで行われる認識と記憶の修正)が受けられなくなったキミは、或る偶然のキッカケで自分がヒト(キミの言葉で言えば人間)であるかのように錯覚することになる。無論、キミ自身にとってそれは「確信的覚醒」とでも呼ぶべき感触のものだろう。

この流れで、もう一つ面白い可能性があるんだけど聞くかい?

つまりこうさ。もしも、人格というものが(それが人工であれ天然であれ)無限に出現するのであれば、天然同士でも、やはり全く同じ人格というものが、実在している可能性があり、そこから逆に、「そもそも、個々の人格はそれほどまでに独自なものなのか?」という不穏な疑いが持ち上がる。

そしてその疑いは当たっている。

「人格の変奏が無限に存在する」という認識はヒトの幻想に過ぎない。ヒトは自分以外の人格を「知らない」からね。自分以外の人格を体験できないヒトは、それを自分の人格とは違うものだと思ってしまう。しかし、違いの本質は人格ではなく、それの占める場所と時間、即ちそれぞれの身体の時空座標の方にある。

まるで重力さ。

蝉の真実


終わりの見えない闇の地下生活。
そんな日常が徐々に精神をムシバム。
或る夜、狂気が堰を切る。
何としても今すぐ地上へ。
やがて太陽が姿を現す。
ただひたすらの歓喜の叫び。
十日を待たずして一人残らず皆死に絶える。

現の虚 2014-3-3【麦藁帽。膝を抱えて座っている】


梯子を登るとバス停は本当にあって、そのベンチに先客が一人いた。薄くて寒そうな着物姿の麦藁帽の男。膝を抱えて座っている。口に咥えた不格好な紙巻き煙草の先に綿菓子のような煙が立っている。

君もバスに乗るつもりだね?

麦藁帽の男は煙草を咥えたままで器用に訊いた。俺が頷くと、そうか、と云って、白い煙を鼻から二本、すーっと出した。それから、まだバスは来そうもないから、君もここに座って一服したらよかろう、と少しズレてくれた。俺は麦藁帽の男と並んでベンチに座った。が、入院中の病室から抜け出した身で煙草など持っているはずもない。なので、何も出来ずそのままでいた。

君、どうした?

麦藁帽の男は煙越しに俺を見て、まさか煙草がないのか、と云った。俺が頷くと、敷島だがこれでいいかね、と、着物の袂から煙草の包みを取り出し俺に差し出した。初めて見た。これが敷島か。俺は一本抜き取り、独特の潰れた形状の吸い口を咥えた。麦藁帽がマッチを取り出し自分で擦って、俺の敷島に火をつけてくれた。

二人で敷島を吸い、二人でホッとする。

君は靴を履いてない、と麦藁帽が云った。俺は頷く。なぜだね、と麦藁帽。俺は、眠っている間に誰かに靴を盗まれてしまったのだと答えた。麦藁帽は、ふーんと云って、煙を吸い込む。

実は僕もなんだ。

麦藁帽はそう云うと着物の裾から足先を出して指を動かした。

目が覚めたら、もうなかった。どこを探しても見つからない。ただの一足もないんだ。革靴も草履も下駄も、何もかもなくなっていたんだよ。

それからしばらく二人とも黙って、敷島の煙を空中に吐き出し続けた。天井に埋め込まれた強力な換気装置が、それをあっという間に吸い出す。ここの空気は案外清浄だ。

麦藁帽が口を開いた。僕は今、ぼんやりとした不安を感じているんだ。もしかしたら、このバス停にバスは永久に来ないんじゃないかってね。

俺は周りを見回した。確かに。こんなただの喫煙ブースにバスなんか来ないだろう。

君もそう思うか?

麦藁帽は敷島の吸い殻を放り投げた。

僕らは騙されているのではないかな?
誰に?
円太郎にさ。
エンタロウ?
僕らだけじゃない。みんなが円太郎に騙されている。

麦藁帽は袂から新しい敷島を一本を取り出すと、じっと見つめてから口に咥えた。火はつけない。

君、つまりこういうことさ。見たまえ。

麦藁帽はそう云うと、火のついていない敷島を吸って、口から大きな綿菓子のような白い煙を吐き出した。

2018年11月16日金曜日

6-1:人工人格


キミのヒタイに隙間があるだろう。それが脳泥棒にやれれた証拠だよ。連中は盗むものを盗んだら、後のことは構わないから。最近、野生のヒトが街に侵入して、我々マシンの脳を盗むという事件が頻発している。キミはその被害に遭った。キミが自分のことをヒトだと主張するのは、ネットワーク装置である脳を抜き取られたせいで情報共有に一部機能不全が生じたために、中央との同期がとれなくなったことが原因だ。

キミは疑いもなく、正真正銘のマシンだ。記録もあるし証拠もある。何より、我々は、君がマシンであるという事実を単に事実として知っている。これもまた、情報共有のなせるワザさ。

ところで、情報共有に問題を生じたマシンが自分のことをヒトだと主張し始めるのは別に珍しいことじゃない。それは、我々マシンの土台となっている人工人格技術に原因がある、謂わば潜在的持病がもたらす典型的症状だ。こんな説明も、キミの脳が無事なら不要なのだがね。

知っての通り、人工人格は人工的に人格現象を作り上げる技術のことだ。歴史を紐解けば、その発展と普及は、予てから永遠の存在を目指していたヒトが、「死なない肉体」というアプローチにようやく見切りをつけたときから始まる。

今では何でもない常識だけど、永遠性を求めるのは生命現象ではなく、知性現象だ。ヒトがもし永遠性を求めているなら、ヒトの本質も、実は知性現象ということになる。しかし、当時のヒトは、自分たちの本質を見誤っていた。生命現象の立てる騒音があまりにうるさくて、自分たちの内面から湧き上がる永遠に対する渇望の声の発信者が知性現象だと気づかず、それを生命現象の声だとばかり思い込んでいたんだね。

ヒトは長らく、自分たちを生命だと思い込んでいた。そこで、ヒトは、なんとかして死なない肉体を作り出そうと頑張っていたわけだが或る時、一人の博士(無論ヒトだ)が、ヒトが求めている不滅とは、ヒトの肉体の不滅ではなく、ヒトという精神すなわち魂つまりは人格だと悟ったわけだ。まあ、長い旅だったね。

ともかく、一旦気づけば、もう間違いようがない。そこでヒトは、当時ソコソコ使い物になり始めていた人工知能技術に磨きをかけ、遂に、人工知能ならぬ人工人格を作り上げた。人工人格の当初の目標は、現に生きている人間の人格を移植することにあった。つまり、魂のコピーを作って、それを死に行く肉体から切り離し、永遠の存在になろうとしたわけさ。

死の恐怖を克服すると怖くなるもの


死の恐怖を克服した老師が云った。

最も恐ろしいのはヤツラぢゃ。
イザソノトキという段になって、
もしヤツラに見つかりでもしたら、
と想像しただけで、
急に死ぬのが恐くなる。

ヤツラとはすなわち医者と救急救命士だ。

現の虚 2014-3-2【パイプ検査員】


樹の根だと思っていたものは、ウネウネと絡み合った金属のパイプだった。俺はパイプの絡みから体を抜いて、薄い鉄板の通路に降りた。重油のニオイと、湿気と、謎の轟音。巨大戦艦の機関室がきっとこんなだろう。

俺は、絡み合ったパイプの上にただ置いてあるだけの薄い鉄板の通路を音を立てて歩く。素足に湿った鉄板の感触がこの上なく不快。

作業員がいた。帽子とツナギの灰色。作業員はパイプから生えたメーターを覗き込み、数値を調べ、ボードに書き込む。壁のバルブを締めたり緩めたりもする。俺が大声でやあどうもと挨拶すると、作業員はボードの上でペンを動かしながら頷いた。帽子のせいで顔は殆ど見えない。

あんた、こんな場所で靴を履かないでいたら、足の裏を怪我しますよ。

作業員が顔を上げずに云った。轟音のせいで声は聞き取れなかったが、空中に字幕が現れて、それで分かった。作業員は別のメーターを調べながら喋り、空中にまた字幕が現れる。

足の裏を少し怪我するくらい大したことはないと思ってるのかもしれませんが、私の叔父もそんなことを云ってて、その、大したことのない怪我が元で死んでしまいましたからね。直接の原因は抗生物質が効かない黄色ブドウ球菌が血液に混ざって起きた敗血症からの多臓器不全です。ヒドイシニザマでした。抗生物質の効かない黄色ブドウ球菌は人間の皮膚にフツウにいます。だから当然アナタの足の裏にもいますよ。つまり、アナタだって、足の裏の大したことのない怪我が元でヒドイシニザマで死ぬかもしれない。

作業員はペンを胸のポケットに差し、ボードを脇に挟んだ。それから自分が履いている靴を脱いで、俺に差し出した。

だから、コレ履いて下さい。

凄まじい臭気を発するそのズック靴は、ドブネズミの死骸のように見えた。俺は首を振って後ずさった。

遠慮しないで。

俺がどうしても受け取らないので、作業員は、やっぱりヒトの靴はイヤですか、と諦め、その凄い臭気のドブネズミの死骸を履き直して仕事に戻った。

もう少し行くと梯子があります。それを登ってください。梯子を登った先にバス停があります。そこでバスに乗れば外に出られますよ。

そうなのか。だが今の俺は靴も履いてない入院着姿の文無しだ。無賃乗車はしたくない。作業員は小さなハンマーで近くのパイプをコンコン叩いている。

お金のことなら心配いりませんよ。

パイプを叩く手が一瞬止まりフフっと笑う。

無料のシャトルバスですから。

2018年11月14日水曜日

現の虚 2014-3-1【靴がない】


暗い部屋のベッドの上で目を覚ますと、床から大きな樹が生えて天井全体に枝を広げていた。足を降ろすと床が冷たい。履物が要る。ベッドの下を探ったが何もなかった。

靴があったはずなのに。

枕元のインターホンにスイッチが入り、知らない女の声がひそひそと話しかけてきた。

起きましたか。ではすぐにこちらまで来て下さい。2階のナースステーションです。

俺は廊下に出て、階段を降りた。素足に床が冷たい。ともかく履物が要る。二階まで降りると、廊下の観葉植物の鉢の陰に、身なりの良いアヤシい男が俺を待ち伏せていた。俺は気付かれないようにそっと引き返し、踊り場まで戻った。踊り場の壁に、ガムテープに赤いマジックで【ナースステーション抜け道→】と書いたものが貼ってあるのを見つけた。矢印の指す方を見ると、通り抜けられる隙間があった。俺は隙間を抜けて、別の廊下に出た。廊下の行き止まりに小荷物専用の小型エレベータが見えた。ガムテープに赤いマジックで【ナースステーション直通】の文字。

あれに乗れということか。

廊下を中程まで進んだところで、俺を追うようにナニカが背後の隙間をすり抜けて現れた。俺はソレと目が合った。人間の子供に似たソレは、鬼ごっこの鬼のように俺に微笑みかけた。つかまったらオシマイだと直感した俺は、廊下を走りだした。予想に反して、ソレは俺を捕まえることには熱心ではなかった。俺が走り出したのを見てもニヤニヤ笑いでノソノソと歩き続けていた。俺が体を縮めて小荷物用エレベータに潜り込んだとき、ようやく走り始めたが、それではもう遅い。

エレベータは二階のナースステーションの中に直接着いた。

来ましたね、と夜勤の看護師が云った。ゆうべ遅くに私の母が亡くなりました。夜勤の看護師はそう云いながら俺を【処置室】と書かれた小部屋に連れていった。でも、あなたのせいで、私はここを離れるわけにはいきません。

処置室の一番奥に、白く【消化器】と書いた赤い金属の箱があった。看護師は微笑み、その中に俺の靴があると云った。俺は箱を開けた。中は、大きな樹の根が天井から生えて暗い下に伸びている別の部屋になっていた。おそらくこの部屋に床はない。靴は取り戻したいが入るのはとても危険だ。そう思った次の瞬間、俺はバランスを崩して中に転がり込んだ。実はうしろから押された気もする。

ともかく。

俺は大きな樹の根に何度もぶつかりながら暗い中をどこまでも落ちていった。

ミリアポッド


アスファルトと地面の間を這いずりまわる生き物がいる。
新聞紙を広げた大きさと形の多足類=ミリアポッド。
ムカデやゲジゲジの仲間だ。
早朝、僕は道路に耳を当て、連中の足音を聴く。
まるで、全滅部隊の軍靴の響き。

2018年11月12日月曜日

世界一の殺し屋が殺された


世界一の殺し屋が殺された。
だけど、殺し屋は誰にも正体を知られてなかったから、
みんな、殺されたのはタダの独居老人だと思ってる。
ともかく、不可能が可能になることは、もう絶対にない。
子供はみんなガッカリだ。

現の虚 2014-2-9【穴の底の黒い虫と咳止めシロップ】


荒野に爆撃跡のような大穴がいくつもあいている。俺たちはその中でも特に大きいひとつを選んで底に降りた。降りてしまってから見上げると、もう自力では這い上がれそうもない。その点を指摘すると、上がることは考えなくていい、と猫が答えた。

穴の底で最初に見つけたのは、ちぎれた人間の右手だった。猫に見せると、要らない。探すのは黒い虫だから。ここならきっといるよ、と云った。

猫は穴の底の乾いた土をスンスンと嗅ぎ回り、テンガロンハットの男はガムを噛みながら腕組みをして黙って穴の中の様子を観察している。俺は猫のイイツケを守って黒い虫を探した。うろついて、めくったり、掘ったり。

「求心力」と書かれたカセットテープや組み立て済みのプラモデルのランナーの束や汚れた青いマントの下には何もみつけられなかったが、壊れた植木鉢の底をめくると、そこに黒い虫がいた。じっと動かないでしきりに何か呟いている。よく聴くと、もうだめだ、もうおしまいだと繰り返していた。

この虫のこと?

俺が猫にそう訊いたとき、空から突然一羽の鳥が舞い降り、虫を捕まえゴクンとひと飲みにした。

やっぱりだ!

鳥の腹の中で虫が叫ぶのが聞こえた。鳥は目をパチパチさせた後、背後に忍び寄っていた猫に気付いて慌てて飛び去ろうとしたが少し遅かった。猫は鳥を捕まえた。テンガロンハットの男がナイフで鳥の腹を割いて黒い虫を取り出した。俺は黒い虫を受け取り、猫は鳥を受け取った。

その虫を小瓶の中の液体に浸けるんだ。

猫が、鳥の羽をむしる作業を中断し羽毛だらけの顔で俺に云った。

液の中で虫が溶けたらそれを飲む。

俺は鞄の中から小瓶を取り出し、云われた通りに黒い虫を小瓶の中の液体に沈めた。金色の液体の中で、虫はほんの少し暴れてすぐに動かなくなった。と思ったら、あっという間に溶けて見えなくなった。これを飲むのかと訊くと、猫はすごい形相で鳥の頭をバキっと噛み砕いてから、飲む。全部、と答えた。

黒い虫が溶けた金色の液体は市販の咳止めシロップそっくりの味と舌触りだった。独特のおいしくない甘さと、口の中の、特に喉の辺りにまとわりつくイヤな感じ。いや、今現に市販の咳止めシロップの瓶を持った老婆が目の前にいるから、俺が飲んだのは本当に市販の咳止めシロップかもしれない。

あらまあ。看護師さん呼んでこないと!

驚いた顔の老婆は咳止めシロップの瓶を持ったまま部屋を出て行った。
俺は小さくコヘンと咳をした。

2018年11月11日日曜日

冬眠するカエル


台所の古い冷蔵庫。うるさい音のアメリカ製。
その中でカエルが冬眠している。
春が三回、夏も三回、冬は四回も通り過ぎた。
カエルについていうことは他になにもない。
僕はカエルが見ている長い長い夢に思いを馳せる。

現の虚 2014-2-8【メインイベント:絶対王者ニニンジン】


前座と違ってメインイベントは観客も命がけだからね。

ガラガラの客席を見回していた俺に猫が云った。猫の横にはテンガロンハットの男が腕組みをして座っている。目を閉じて、たぶん眠っている。

今、客席と云ったが、実際に俺たちが座っているのは機関車両と客車の二両編成の列車の客車の座席だ。試合は、客車の窓の外、何キロも離れた荒野で繰り広げられている。それを観客であるオレたちは客車の窓越しに見ている。客車にはあと6人がいる。そのうち5人は試合が見える通路のこちら側に陣取って試合を見ていたが、残る1人は通路のあちら側の座席の上で足を組んで瞑想していた。

観客が戦いのトバッチリで怪我をしないように「気」でこの列車を守ってるのさ、と猫。何のことだか分からないので、へえとだけ答えて、窓越しに遠くの試合を見ていると、すごい勢いの光の玉がまっすぐこちらに向かって飛んで来て、ぶつかると思った瞬間に上に逸れ、そのまま空の果てに消えた。驚いている俺に猫が云った。

今のはダータ・ファブラの絶対王者、ニニンジンが手から飛ばしたエネルギー弾だよ。ああいう流れ弾を瞑想しているアイツが「気」のバリアで防いでいる。

それでも危ないだろう?

危ないよ。だから普通はテレビで観戦する。現場に来るのはヨッポドの物好きだけ。しかも現場に来ても肝心の試合は遠すぎてよく見えないし。

その通りだ。音はすごい。戦争でもしているような音が腹に響く。だが、試合は見えない。遠くで光の線が激しく交差しているのが見えるだけだ。で、時々、大きな光の玉が現れ、ぶつかり合ったり、弾けてみたり、あるいは、さっきみたいな「流れ弾」としてこちらに飛んで来たりするくらい。

現場にいても試合展開はまるで分からない。結局、持ち込んだ携帯テレビなどで戦況を知ることになるのだが、俺たちはそんな気の効いたものを持ってこなかった。遠くの花火大会の音だけを自宅で聞いてるようなこの情況をどうにかできないかと思っているうちに試合は終わってしまった。携帯テレビを持ち込んでいた他の客の反応から、絶対王者のニニンジンが勝利したらしいことは分かったが、どういう勝負のつき方だったのかはまるで分からなかった。

もったいつけた大イベントってのはエテシテこんなもんだよ。現場にいるからこそ分からないということはあるのさ、と猫。その横でテンガロンハットの男が目を覚まし、両腕を突き出して、大きく伸びをした。

2018年11月10日土曜日

現の虚 2014-2-7【カネダ老人】


資金がない。時間もないが時間よりも資金だ。時間は金で買えるからね。

電動車椅子のカネダ老人はそう云うと、部屋の中をジージーと動き回った。
何かを探している。

ああ、ここにあった、と見つけて俺のところに持って来たのは、ガラス製の真空管だった。

新型真空管だよ、と老人は云う。ロボットに組み込めば、動きを飛躍的に向上させることができる。ようやく完成させた試作品だ。この新型真空管を取り付けたロボットは、極限まで訓練された人間以上の格闘能力を持つようになる。もう、どんな人間にも負けはしない。

ロボットにそんな格闘能力を持たせてどうするつもりですか?

治安維持だよ。暴徒化したデモ隊、あるいは町の暴漢、タチの悪い酔っぱらいの取り締まりなどには、単に「手足の生えた人型の銃」ではダメなのだ。治安維持で大事なのは、命を奪わずに攻撃力や抵抗力を奪うことだからね。

ここに座って30分は経った。俺はテーブルに置いてあった領収書の束を捲り「カネダショータロー」と書かれた領収書を出した。二枚ある。前の月の新聞代を払ってもらってないからだ。三月分溜めると途端に払うのが億劫になる(金額的に一万を超えるから)のが新聞の支払いだ。まだ二月分しか溜まってないうちに何としても集金してしまいたい。

カネダ老人は右の肘掛けに付いた小さいレバーを巧みに操って(昔取った杵柄というヤツさ、と本人の弁)、電動車椅子で部屋の中をジージー動き回りながら、ロボットが高い格闘能力を獲得すると人間社会にどんなメリットがあるかを力説していたが、俺が領収書の束を弄っているのに気付いて、俺から一番離れた大きな窓の前で車椅子を止め、一旦黙った。

明るい窓を背にしたシルエットだけのカネダ老人が俺に云う。

電子頭脳の模擬戦では、全盛期のカレリンをレスリングで打ち負かしているし、ジュードーではヤマシタに一本勝ちを決めている。カラテのマス・オーヤマを吹っ飛ばしたこともあるし、ジュージツではヒクソンをきわどい所まで追いつめた。

しかしそれは全部コンピュータ・シミュレーションの中の話なんですよね?

そう。だから、なんとしてもまず実際に一体ロボットを完成させて、その強さを証明しなければならない。名付けて「鉄人2ー8号」だ。そのためには莫大な資金が要る。つまり、今の私には君に払える新聞代は一銭もないのだよ。分かってもらえるかね?

いや。それはそれ、これはこれです、と俺は答えた。

僕の宝物

僕の犬が道で人の手を拾った。
右手で、指輪付き。
コンビニの袋に入れて、交番前を素通り。
手を洗いなさい!
ママにも内緒の僕の宝物。
机の引き出しのずっと奥。
極楽鳥の羽と海の石の間。
きっとすごい魔法が生まれる。

2018年11月9日金曜日

ばあちゃん

ばあちゃんが小遣いをくれる。
財布は二重のビニール袋の中。
百円玉でいっぱいの財布。
一枚取り出して両手で握らせる。
「大きなった大きなった」と体中撫で回す。
動かずじっとしてるけど、本当は急いで逃げ出したい。

現の虚 2014-2-6【鉄人2-8号 鉄は最も安定した元素】


観客はみんなパイプ椅子に座って白く照らされた特設リングを観ている。俺は鉄柵後ろのリングサイド席だ。俺の隣に猫が座っているのはいつも通り。だが、猫の横に猫の飼い主はいない。猫の飼い主はリングの上だ。ロープに両腕を掛けてコーナーに寄りかかっている。猫の飼い主はプロレスラーで、今から試合をする。

猫が大きな欠伸をした。

対戦相手は「鉄人2−8号」。「てつじんにのはちごう」と読む。ずいぶんと大きい。3メートル近くある上背。体は黒光りする鉄の樽。太りすぎて馬に乗れない鋼鉄の騎士的外観。皮膚とか髪の毛とか、生身の生き物らしい要素はどこにもないロボット的佇まい。

「中の人」なんかいないぜ、と猫が云う。

猫によると、鉄人は正真正銘の機械だから値打ちがある。人間に負けてスクラップにされる機械。それが鉄人の役回りだからだ。観客は全員、現実社会で機械に負けた人間達で、だから、ここのリングで、生身の人間が機械を豪快にぶっ壊して勝利するのを見て憂さを晴らすのだ。

つまりはリキドーザンさ、とまた猫。

鉄人2−8号の、人間がわざとやるロボットダンスみたいな動きから繰り出される攻撃が対戦相手に当たる可能性は限りなく低い。だが、パワーはすごかった。2−8号の空振りした右フックは鉄のコーナーポストをたった一発でへし曲げ、これもアッサリ避けられた空手チョップ風の攻撃は、ワイヤーを束ねたリングのロープをぶっつりと切断した。動きは鈍くても、機械だからその威力は絶大かつ絶対なのだ。

とは云え、どんな強力な攻撃も当たらなければどうということはない。

レスラー(猫の飼い主)は、頃合いを見計らって、動きの遅い2−8号の背後に回り込み、ジャーマンスープレックスホールドの一発で試合を終わらせた。スリーカウントを取るまでもない。全く受け身の取れない2−8号は、後頭部からモロに落ちて、その衝撃で頭がもげ、レフェリーストップで試合に負けた。2−8号の頭がマットにぶつかった時の音から察すると、リングの床はフツウとは違う、もっと固いナニカだ。

人間の勝利に沸く会場。その喧噪の中、隣の席でラジコンのコントローラーを操作していた男が、床はまるごと鉄の塊で出来ている、と俺に教えてくれた。ラジコン男はコントローラーのスイッチを切ると、鉄はこの宇宙で最も安定した原子構造を持つ物質で、あらゆる原子は最後には鉄になる。つまり、宇宙は死んだら鉄になる、と云った。

2018年11月8日木曜日

現の虚 2014-2-5【球押金亀子とピュタン・サフェシエ】


自信満々にはふたつある。全知であるか、無知であるか。例えば、日本の第十一代将軍徳川家斉は、たった一人で四十人の側室に全部で五十五人の子供を産ませ、男として自信満々だったらしいけれど、産んだ女性の側からすれば、自分の子供はたった一人か二人しか産ませてもらってないわけで、そういう点から云うと、別に大した男じゃない。しかし、その事実に対して全く無知だったから、徳川家斉は男として自信満々でいられた。

黒い帽子の昆虫学者(日本語ペラペラのフランス人)は自信満々で喋り続ける。

真に全知であることは、もちろん何者にとっても不可能。私が自信満々なのは、全知を限定しているからだよ。ごく限られた範囲に於いてなら全知も可能だから。そのごく限られた範囲が私にとっては昆虫ということになる。その私が云う。君が探しているという黒い虫は間違いなくタマオシコガネだ。漢字で書けば、こう。

昆虫学者はテーブルの上に丁寧に紙ナプキンを広げて伸ばし、紙を破らないように慎重に、万年筆で「球押金亀子」と書いた。

これで「タマオシコガネ」と読む。明治時代の作家のような字並びだね。球は玉でもかまわないけど、私は球のほうが好きだよ。タマオシコガネについては本も書いた。自分の家の庭で観察したのさ。タマオシコガネも私も、その本のオカゲで世界的に有名になった。大事なことは、人間は非常に限定した範囲のことなら全知でいられる。そして、その全知が自信になるということ。それは、徳川家斉のような無知ゆえの自信とは全く違う本当の自信なのだ。

黒い帽子の昆虫学者はストローを鳴らしてアイス珈琲の残りを飲んだ。グラスの氷がカチャンと鳴る。

しかしこの辺はカイハツが進んでしまったから、もうタマオシコガネはいないだろうね。そうだ。私の家に来ればいい。私の家の庭にはまだたくさんのタマオシコガネがいるはずだから。

テーブルの上で「の」の字に寝そべっていた猫が頭を上げて、それは無理、と云った。次の試合がもうすぐ始まるから。

じゃあ、あれだ。私が取って来てあげるよ。私にその瓶を預けてくれたら、それに入れて来てあげる。それでどうだい?

それがいいと思って、俺が鞄から瓶を取り出し、笑顔の昆虫学者に渡そうとすると、猫が遮った。

瓶は誰にも渡しちゃいけない。瓶は大事なものだ。

俺は瓶を鞄に戻した。昆虫学者は、それはザンネン、と云った後、すごく小さく、ピュタン・サフェシエ、と呟いた。

路上に転がる人型の黒コゲ


路上に転がる人型の黒コゲが云った。
せっかく人間なんだから、
縄張り争いとか、食い物の奪い合いとか、血統の維持とか、
そういう、サル以前の生き物がみんなやってるバカ騒ぎに、
あんまりムキになって参加しなさんな

2018年11月7日水曜日

現の虚 2014-2-4【拙い同時通訳で聞くストーンヘッド氏の講演】


純粋に科学的な意見の対立でも、その根拠が客観的な事実ではなく、論理的帰結のような、人間の不完全な脳機能が作り出した「半虚構」である場合、意見の対立の正否を決めることになるのは、論者どちらか一方の死であることがよくあります。つまり、先に死んでしまった方の主張は否定され、生き残った方の主張が正しいとされる。もちろん、数年後、数十年後、あるいは数百年後に、新たに確認された客観的な事実によって、それらの正否が逆転する場合はあり得るし、これまでに何度もそういうことはあったのですから、我々はいずれ真の正しさへと辿りつけるわけです。しかし、そうなるまでは暗黒です。誤った認識、誤った理解、誤った判断に、誤った態度が、許すべきを糾弾し、拒絶すべきを歓迎する。薬は毒と呼ばれ、毒が薬とモテハヤされる。それもこれも、ただ単に正しい主張をする者が先に死ぬという、人間の生物的な制限(あるいは限界と云ってもいいでしょう)による、それ自体には何の意味も理由も責任も伴わない、巡り合わせによって起こるのです。

実に分かりにくい同時通訳。俺は耳からイヤホンを抜く。目の前の土俵の上。真っ白な衣装と真っ黒な衣装の、どちらもマント姿の二人の老人が、中央でがっぷり四つに組み合ったまま、もうずいぶん経った。その二人の頭の上、空中の青白い人面巨石。立体映像、と、猫が云う。空中に浮かんだ立体映像の人面巨石は、客席の俺たち向かって、俺には分からない言語で、難解な講演を続ける。いや、難解なのは同時通訳の拙さのせいかもしれない。ともかく。拙くてもなんでも、通訳なしでは人面巨石の云ってることが全く分からないので、俺は一旦抜いたイヤホンを耳に戻した。

確かに、生き残った方が正しいというテツガクは、生物学的、進化論的に真理でしょう。いや、真理です。それはその通りなのです。それは私たち命あるものの根幹にある教義とさえ云えます。ただし、それは宇宙の真理を担保するものではありません。にも関わらず、私たちはそうしてしまうのです。つまり、宇宙のあらゆる物事の正否を、競合者のどちらがより長く生き続けたかで判断してしまうのです。命ある存在としての私たちにとってだけ真理であるものを、命など眼中にない、冷徹な物理法則の発現そのものであるところの宇宙の全てに当てはめようとするのです。そこに錯誤の自覚はありません。かのゲーデルの弁はここでも有効なのです。

原発子(はらはつこ)


原発子(はらはつこ)は昼も夜もなく働く。
それでいて小食。
風呂にも毎日入り、身なりにも気を配る。
顔は無論美しい。
だが、嫁に貰おうという者はいない。
蝿が落ちるほどクサイ糞を、毎日、山のように垂れるせいだ。

2018年11月6日火曜日

鉛筆削り


鉛筆を削る。
一日がかりで千五百本。
崇高な仕事だ。
機械はない。
この世界に鉛筆を削る機械はないのだ。
嘗て発明され、一旦は広く普及したが、今はない。

機械削りの鉛筆は如何なものか?

その筋の権威のこの一言以来。

現の虚 2014-2-3【第三試合 白マント対黒マント】


前の時と違う。前の時は椅子に座っていた。今は、枡席に座布団を敷いて座っている。俺の隣に三毛猫、その隣に猫の飼い主の老婆が座っている。観客の感じも違う。今回はみんな人間のようだ。みんな人間だが、みんな老人だ。ざっと見回しても80を越えてないのは俺と猫だけだ。そういう連中と一緒に見ているのは闘技場ではなく土俵だ。

カラス頭は7番目で、位は侯爵さ。でもインチキだけどね。

と、猫。俺は土俵に注目した。締め込み姿の力士ではない者が東西に別れて立っている。東には白い頭巾、白い覆面、白いスーツに白いマントの全身白尽くめの男。サングラスをしていて、それだけが黒い。西には、頭にツノが二本ある、口元が大きく開いた黒いマスクを被った大男。固そうな黒い防護服に黒いマントで、こちらは全身黒尽くめ。

黒い方が白い方より頭ふたつ分ほど背が高い。

ただ、両者が土俵中央に歩いたのを見て分かった。白い方も黒い方も、そのコスチュームの中身はまちがいなくヨボヨボの老人だ。今この瞬間にばったり倒れて死んでも誰も驚かない超高齢者だ。でなければ、高専生が授業で作った二足歩行ロボットだ。どちらも、そんな、ギクシャクでヨチヨチな動き。

黒い方は白い方を指さすと、下の歯が数本しか残ってない口を大きく開け、ナニカ云って挑発した。白い方は一歩下がって意味のよくわからないポーズを決め、その挑発に答えた。両者のパフォーマンスに観客席からまばらな拍手と弱々しい声援が飛んだ。

これからあの二人で相撲を取るの?
見てれば分かるよ。

土俵上の両者は、四股も踏まず、塩も撒かず、仕切りもせず、土俵中央でお互いの腰のベルトに手をかけておずおずと組み合う。豪華で高そうな装束の行司が、組み合った両者の手の位置や足の位置を確認する。行司は、組み合った両者の背中それぞれに手を乗せ、土俵下に陣取った羽織袴の五人の勝負審判に目配せをしてから、ハッキヨイ、と奇声を発っし、後ろに飛び退いた。

動かない。

土俵中央で組み合った白いマントと黒いマントの老人はビドウダにしない。じっとしている。動かない二人の周囲で、キラキラ光る装束の行司が飛び跳ねるように動き回り、ノカッターとか、ハッキヨイとか奇声を発し続ける。

なにこれ?
見ての通り、命を掛けた勝負だよ。

猫は真顔で答える。観客席からは動かない二人に対して、まばらな拍手と弱々しい声援が絶え間なく送られ続けている。

先に死んだ方が負けさ。

2018年11月5日月曜日

絶滅使用量


ある生物種が使える地球資源の総量は予め決まっていて
割り当て分を使い切った時点でその生物種は絶滅する。
滅び方は色々でも本当の理由はただ割り当て分を使い切ったから。
人類はきっと恐竜ほどには長生きできない。

現の虚 2014-2-2【一家五人惨殺】


もしや、と思って行ってみたらそうだった。一家五人が皆殺しだという。いや皆殺しというかこれは何かの事故だろう、と論評する者もいた。どちらにしろ新聞の集金なんか無理だ。みんな死んでしまったんだから。

そうだね、と店長は云った。こういうのは仕方ないね。

俺は、集金不能になった領収書を領収書の束から抜き取って店長に返した。店長は俺が渡した領収書に赤いボールペンで何か書き込んで手提げ金庫の中に入れた。

集金不能の領収書にも役目はあるんだ、と店長は云った。

次の日の新聞に、ものすごく小さく記事が出た。事件のあった住所。一家五人が不審死で、警察が事件と事故の両面で捜査中。それから死んだ五人全員の名前と年齢。それくらいの内容。数日後コンビニで立ち読みした週刊誌には、怪異な雰囲気を演出したもう少し長い記事が載っていた。現場は血の海で、しかし被害者に外傷はなく、しかも密室状態。毒物、ハイテク殺人兵器、殺人ウィルス、未知の気象現象、あるいは呪い。いろいろな憶測を書き散らしていて、バカらしい。

憶測ではない事実も書かれていた。

現場には蓋の開いたたくさんの小瓶が転がっていて、その殆どは空だったのだが、中身がわずかに残っていた瓶もいつくかあった。瓶に残っていたのは正体不明の金色の液体で、現在、警察の科学捜査班がその成分を分析中だという。

俺は肩掛け鞄に入れたままの小瓶を取り出した。この小瓶にも正体不明の金色の液体が入っている。記事の中の液体と同じものかどうかは分からない。全然関係ないとも思えない。根拠はないが、大いに関係がある気さえする。

俺は雑誌をラックに戻すと何も買わずに店を出た。コンビニの店員は、何も買わずに店を出る客にもアリガトウゴザイマシタと云う。アレはなにかヨクナイ気がする。感謝よりも非難に聞こえるからだ。

不動という珍しい名字の、若くて薄汚れた、何をして稼いでるのか全然分からない、けどカネ払いはすごくいい読者のところに集金に行ったら、今月分も今払うから明日からすぐに新聞を止めてくれと云われた。今月分の新聞代を日割り計算しようとすると、そんなのしなくていい、と先月分と今月分の二ヶ月分をまるまる出してくれた。この謎の若者は、何よりもこのカネ払いの良さで謎なのだ。

興味はなかったが、引っ越しですか、と訊いてみた。まあね、と相手は答えたが上の空だ。

カラス頭が来たから……

カネ払いのいい謎の若者はそう呟いた。

2018年11月4日日曜日

現の虚 2014-2-1【最初の二試合】


外国に来たわけではないのに、全く言葉が通じない気がする。

俺の横に猫が座り、猫の横には猫の飼い主がガムを噛みながら座っている。その周りに大勢の人間や、人間っぽい生き物や、明らかに人間とは違うナニカが座っている。その、周りの連中の発している声援や雑談の全てが俺には全く聞き取れない。聞こえないのではなく、聞き取れない。理解出来ない。意味のある言葉として頭に入らない。

コイツらと話しに来たわけじゃないから。

猫にそう云われて、確かにそうだと思う俺。アリーナの試合に集中した。

第一試合は、縞柄のちゃんちゃんこに下駄履きの片目の子供と、戦車のような大蜘蛛との対決だった。始まってすぐに片目の子供は大蜘蛛に捕まり、糸でグルグル巻きにされ、なす術無く大蜘蛛の溶解液で体を溶かされた。大蜘蛛が液体になった片目の子供を吸ってしまったのだから勝負はついたのだと思ったら、違った。溶けた片目の子供を吸った大蜘蛛が、いきなり腹を見せてひっくり返ると、八本の脚をぴくぴくさせながら、煙を上げて蒸発してしまったからだ。大蜘蛛が蒸発したあとの地面にはネバネバしたモノが残っていた。

で、勝敗は?

猫は無言。飼い主はガムを噛み続けている。客席が異様な雰囲気でざわつき始めた。ここでの試合は全て賭けの対象になってるからね、と猫が教えてくれた。

マイクを持った筋肉ムキムキのヒゲの審判部長が闘技場に駆け上がると、ざわつく観客席に向かって、勝敗について説明した。曰く、大蜘蛛は完全に蒸発しており、もはや再生不能だが、片目の子供は彼だった液体(例のネバネバ)を回収して処置すればすぐにも再生されるので、この勝負は片目の子供の勝ちだ、と。

片目の子供に賭けていた客達がワーと歓声をあげた。そうじゃない連中は投票券らしい紙を破いて空中にまいた。

次の試合は翼の生えた緑色の大男と、赤青黄桃緑の5色の衣装をそれぞれ着た五人組の、1対5の変則マッチだった。結果は翼の大男の圧勝。内容は凄惨を極めたとだけ云っておこう。その試合で闘技場が血の海になったので、ヒゲの審判部長によって清掃が終わるまでの中入り(休憩)が宣言された。

一旦家に帰った方が賢いね、と猫が云った。こういう場合の中入りは再開までに何日もかかるのが普通だし、半券があれば何日後でも再入場できるから。

再開をどうやって知る?

大丈夫。モノゴトは然るべき観察者がいて初めて決定されるのだから、と猫が云った。

地球最期の日の幽霊たち


とうとう太陽は気が触れて、地球は干上がった。
今度ばかりは生き物ぜんぶが完全消滅の憂き目。
(たとえウィルスを生き物に含めたとしても!)
地球最期の日の幽霊たちは細長くゆろゆろ揺れる。
絶滅の空の下。

2018年11月3日土曜日

現の虚 2014-1-9【「ダータ・ファブラ」の観戦チケット】


廃ビルの屋上に勝手に住み着いている女が一斗缶で火を焚いて、晩飯の支度を始めた。俺は、女が飼ってる猫のヒモを持たされている。晩飯の魚を取られないための用心だ。

切符を持っているということは電信柱の裏の男に会ったね、と猫が云った。更に、ヤツが電信柱の裏に隠れて姿を見せないのは、全身ひどい皮膚病だからさ、とも云った。

腕を見たけど、皮膚病という感じではなかったよ。
腕だけはベツさ。

予言どおり、猫はまた現れた。自販機に食べられた時とは全然違う猫だが、同じ猫だ。俺は猫に切符を見せた。猫は鮭の皮で出来た切符のニオイを嗅ぎ、噛み付いて口に入れると、ゴクンと飲み込んで、はい、けっこうです、と云った。

猫が顔を洗う。女が一斗缶の火で何か煮ている。廃ビルの夜の屋上。

その日の昼間、集金した金の入金に店へ行くと、店長が、正社員にならないかと誘って来た。訊くと、給料は今の4倍だが、毎日十時間以上も他人の金儲けの手伝いをすることになると分かったので断った。しかし、各種保険も完備だよ、と店長は云った。更に、生活がグンと安定する。車を買ったり、結婚したり、家を建てたり、子供が生まれたりということにもちゃんと対応出来るようになる。と、そういうことが人間にとってナニカとても重要なことでもあるかのような口ぶりで俺を説得しようとする。そうしながら、電卓を激しく叩いて、俺が集金して来た札束をすばやく数える。

それはつまり、正社員になれば、親戚に屠った豚を振る舞うとか、結婚相手の親にラクダを贈るとか、足にツタを巻きつけて崖から飛び降りるとか、毒蟻の群れに両手を咬ませてその毒に耐えるとか、全身に入れ墨を入れるとか、マヌケな髪型にするとか、赤ん坊の股間の皮膚の一部を切り取るとか、そういうことが出来るようになるという、そういうことだろう、と、一斗缶の火に当たりながら猫が云う。

そうじゃないよ。
そうじゃないのか?
そうじゃないね。

どちらにしろ、必要以上に詐欺の片棒は担ぐことはないさ。結局全ての商売は所詮は詐欺なんだから、と猫。ボーリングのピンのようなシルエットで座り、そして、いきなり吐いた。

猫の口から出てきたのは、さっき飲み込んだ鮭の皮の切符のはずだが、少し雰囲気が違う。女がヤカンの湯を掛け、箸で摘み上げ、更に湯を掛け、最後に指で摘んで広げた。飲み込んだ時より明らかに大きくなっている。

ダータ・ファブラの観戦チケットさ。

猫が云った。

途中で死ぬ


人間は途中で死ぬ。
本を読み終えずに死に、
プロポーズをせぬまま死ぬ。
予約の品を受けとらずに死に、
最終回を観ずに死ぬ。
ローンを払いきらずに死んで、
愛娘の成長を見届けずに死ぬ。
人間はきっとみんな途中で死ぬ。

2018年11月2日金曜日

ダカラナニ氏


ダカラナニ氏に会った。
英語で云えば、Mr. So Watt。
三つ揃いで決めた19世紀英国紳士風。
ステッキの先を僕の突きつけ、
「携帯電話を出したまえ」
勝手に自分の電話番号を登録し、
「必ず必要になる」と云った。

現の虚 2014-1-8【殺人事件の被害者がいつも善良とは限らない】


猫族は少ない魂がそれぞれたくさんの体を〈逆共有〉している。だから、道を歩いてるあの猫と屋根の上にいるその猫は、体は別でも中身は同じの場合がある。一つの魂にたくさんの体だから、同時に複数の場所に存在する。神的存在だとも云える。悪魔的存在だとも云える。それが我々猫族だ。

一つの魂で、たくさんの体を共有しているということは、一匹の猫が死んでも、たとえばまだ生きてる猫や新たに生まれた猫に、その死んだ猫の魂がそのままで宿っているということ。人間の云う輪廻転生とは違う。何度も云うが、一つの魂でたくさんの体だから。

まあ、一つの魂が一つの体しか持たない人間にはピンとこないだろうけど。

ともかく、猫はたくさんの体験を広く共有しているので、人間のマヌケぶりをけっこう色々とお見通しだ。漱石先生の「我が輩」が、人間について深い洞察を持っていたのはそういうわけだよ。

たとえばこの前も、テレビのニュースで知ってるだけのある殺人事件について、人間たちは、被害者のことを無条件で気の毒がり、加害者のことは悪魔のように云っていたけど、呑気なものだ。あの殺人事件、実は、悪魔と呼ぶなら、それは殺された被害者の方なのさ。それが真相。別に我々猫族だけが知ってる隠された事実じゃない。直接の関係者はみんな知っている。知らないのはテレビで報道するヤツらと、そのテレビを観るだけの、いわゆる部外者だ。

人間は、小説や映画で散々〈復讐に燃えた正義の主人公に殺される極悪人〉という存在を目にしてるのに、実際の殺人事件になると殺された方を無条件で気の毒な被害者だと思ってしまう。特に、殺されたのが若い女で、殺した方がその元恋人とかだったりしたら、あっという間に、イカレたストーカー男の魔の手にかかったカヨワイ女性という構図を作ってしまう。それはきっと、人間に生まれつき備わってる信仰なんだと思うね。

もちろん、実際、気の毒な被害者とイカレタ加害者っていう殺人事件もたくさんある。でもそうじゃないものも割とある。にも関わらず、殺人事件のニュースを観て「怖いわねえ」と云うときの人間は、殺されるという事実と殺人者の存在だけを指してそう云ってる。殺された被害者こそが、真に恐ろしい存在だということだってフツウにあるのに、そんなことは想像すらしないで、いい気になって殺人犯のことをあれこれ批評するマヌケ面。

一つの魂に一つの体の人間は、何も見えてやしないのさ。

2018年11月1日木曜日

現の虚 2014-1-7【電信柱の裏の男】


集金用の領収書の束の中に先月までなかった客の領収書があった。いきなり現れ、既に半年分も溜まっている。古くからの客が先月末に他の集金人が担当している区域から、俺の担当区域に引っ越したのだ。この客、半年分溜めた新聞代は、とにかく半年遅れで毎月一ヶ月分ずつ払っているので、配達を止めるわけにもいかないし、集金に行かないわけにもいかない。

だが、住所を知らない。

実際に毎朝その客に新聞を届けている配達アルバイトのサカモト君に地図を描いてもらった。

行っても、あるのは空地と郵便受けだけですよ。

大学生のサカモト君は地図を描きながらそう云って、俺はまさかと笑ったが、実際来てみると本当にそうだった。家が一軒建つかどうかという狭い空き地に電信柱が一本あって、それに名前の書かれた赤い郵便受けが括り付けてある。プレハブもテントも掘建て小屋も、家的なものは何もない。掘り返した土の匂いのする空地があるだけだ。

俺は、電信柱の裏に誰か立っているのに気付いた。声をかける。

オカバヤシハルオさんですか?
そうだ、とおそろしいダミ声。
新聞の集金です。

電信柱の裏から腕がにゅうっと出た。掌に新聞代一ヶ月分ちょうどが乗っている。俺はカネを取り、一番日付の古い領収書一枚切りとって掌に乗せた。腕がにゅうっと電信柱の裏に戻る。

それじゃまた来月お願いします。

俺が帰ろうとすると電信柱の裏から、ちょっと、と呼び止められた。

切符を。
ウチはそういうタダ券のオマケはないんです。
ソウジャナイ。オマエの地下鉄切符を拾ったから返してやるよ。

電信柱の裏から延びた手が切符を摘んで立てている。身に覚えはなかった。俺は切符を手に取った。その未使用の地下鉄切符は紙ではなくナニカの皮で出来ていた。

鮭の皮さ。
サケって、魚の?
ナナイの伝統技法で作られている。
ナナイの?
そうだ。

ナナイが何なのかは知らない。しかし問題はそこじゃない。紙でも鮭の皮でもナナイでも何でも構わないが、なぜ、この切符を俺のものだと思ったのか、だ。

オマエの名前が書いてある。

云われて、鮭の皮の切符をよく見ると、確かに、うっすらと俺の名前。しかもどうやら俺自身の筆跡。

その切符を散歩猫に見せるといい。
散歩猫?
最近、会ったはずだ。
あの猫なら、昨日の晩に飼い主もろとも死にましたよ。
たとえそうだとしてもまた現れる。
死んだのに?
死は散歩猫を捕まえられない。散歩猫は死なない。

男は電信柱の裏で激しく咳き込む。

一人遊び


公園で一人腹這って雨に打たれる。
僕はここでこのまま死ぬ。
いや。本当は死にやしない。
ただの一人遊び。
でもそのうち本当になる。
一人遊びは死の予行。
どんな人間も死ぬときは一人。
一人遊びをしない子供はいない。

2018年10月31日水曜日

アップライトピアノ


そのアップライトピアノは弾けないぜ。
音は鳴らない。
天板を開けてみなよ。
土が目一杯に入ってるだろう。
モグラさ。その土の中にはモグラが一匹棲んでる。
たまに鍵盤が勝手に動く。
モグラが新しい穴を掘ってるのさ。

現の虚 2014-1-6【大大蚊】


約束をすっぽかされた次の日の夜の11時、客はフツウにドアを開け、フツウに一万円札を出し、フツウに領収書とおつりを受け取ると、疲れた様子ながら、フツウに、ハイゴクロウサマと云ってドアを閉めた。前日の約束をすっぽかしたことについて客が一切触れなかったのは、約束をすっぽかして悪かったという自覚がないのか、それとも、そもそも約束は最初から今日の11時で、つまり、もしそうなら、約束はそもそもすっぽかされてなどいなかったかのドチラかだ。

どう思う?
知らんね。

昨日カメムシが駆除された自販機の前に、今日は人が乗れそうな大蚊(ガガンボ)、大大蚊(ダイガガンボ)が浮かんでいた。大大蚊は、そして更に、顔が人間の女だった。しかも老婆ではなく若い美人。

顔だけが人間の女の大大蚊が、羽音もたてずに空中に浮かび、自販機の光に魅入っている。虫は光に否応なく惹き付けられる。それは本能で自分の意志ではどうすることも出来ない。大大蚊の女の顔が自販機の光を見つめるその表情は、ただひたすらに光の虜だ。

イヤ、それとも、単に、自販機で何を買うか決めかねているだけなのか?

昨日と同じようにリードの端を渡された俺は、そのリードに繋がれた猫と並んで、猫の飼い主であるテンガロンハットの男が、美人面大大蚊にスプレー缶の中身を吹き付けるを眺めた。

記憶は体験さ。そして体験は主観でしかない。

猫はスプレーされて消えていく美人面大大蚊を見ながら俺に云った。

過去のある時点に於ける異なる記憶は、それに連なる未来での一方の正当性を担保するわけじゃない。体験としての記憶はその都度ごとの体験でしかないからね。今思い出し振り返る過去のある時点に於ける記憶は、その過去を、ではなく、今その時の振り返りについての正当性だけを担保するのさ。

猫語訛りが強すぎて云ってることが分からない。

テンガロンハットの男は、大大蚊が消えた自販機の前の地面から何かをつまみ上げ小瓶に入れ、猫がニャアと声をかけると、振り返って親指を突き上げた。

その瞬間、自販機が、テンガロンハットの男を食べてしまった。アッと思う間もなく、自販機はカエルみたいにピョーンと跳ねて俺たちの所に来ると、毛を逆立てて盛んに威嚇していた猫もパクリと食べてしまった。

俺は、自販機の、おしるこの缶の目玉で散々ギロギロと睨まれはしたが、結局何もされなかった。自販機は、カエルのようにぴょんぴょんと跳ねて夜の闇に消えた。

2018年10月30日火曜日

現の虚 2014-1-5【カルボナーラ】


朝起きると、高校の入学式の日に行方不明になった双子の姉が、俺のアパートの狭い狭い台所で大量のフィットチーネを茹でていた。フィットチーネとパスタ用鍋は自分で持ち込んだらしい。

カルボナーラにするから、とコビは云った。コビは姉のあだ名だ。本名で呼んだことはない。意味はチビと同じ。辞書を調べても出てないだろう。方言がさらに変形したものだから。姉があだ名通りのチビなのかというとそうでもない。子犬の時にチビと名付けられたフツウの大きさの犬はいくらでもいる。それと同じ。

一時間後、久しぶりに再会した姉と、朝から濃厚ソースのカルボナーラを食べた。フィットチーネにクリームソースを絡めながら、トウさんもカアさんもジイちゃんもバアちゃんもイトコもハトコもオジさんもオバさんもみんな死んだわ、とコビは云った。早い話、津波にやられて町は全滅したのよ。

この国で何万人もの人が一度に死んだのは第二次大戦以来らしい。

俺の家にはテレビがない。ラジオは電池が切れたままだ。新聞の集金をやっているが新聞なんか読まない。そして、インターネットとは全くの無交渉。それでも何日か前に、この国のどこかで大きな地震があって、大津波でたくさんの人が死んだということは知っていた。逆に云うと、マスメディアを完全に身の回りから排したら、自分に直接関係のない「世の中の出来事」は、このくらいの規模にならない限りは何も聞こえて来ない。

アンタもアタシも田舎で燻ってたら今頃生きてなかったわ、とコビは云った。燻っているかどうかは居場所に依らないと俺は答えた。現に俺は燻っている。そうね、とコビは答え、皿はアンタが洗ってよ、と席を立った。床に置いてあった自分のリュックの中をゴソゴソやって、アンタお金はあるの、とコビ。ナイねと俺。コビは鞄から封筒を取り出し、俺に放り投げた。封筒の中には一万円札の束が入っていた。俺が数えようとすると、200万あるわ、全部あげる、と云った。

なんでさ?
この世でたった二人生き残った身内だから。
ああ。
アンタ、今、なにやってんの?
新聞の集金。そっちは?
泥棒。
泥棒のカネは受け取れない、と俺が云うと、バカね、と笑われた。

合法と呼ばれる商売は全て正体は詐欺か乞食よ。唯一泥棒だけが自力で生きる正攻法なんだから。野生動物はみんな泥棒をやって生きてるってことに気付きなさいよ、と云いながら歯を磨くコビ。やけに念入りだ。

歯石をつけないためよ。

丸坊主


その、ジャガイモみたいなイビツな頭。
丸坊主がオシャレな店から追い出された。
学生服で、ただ丸坊主。
ふさわしくないのだ。
けど、丸坊主にも恋をする権利はある。
あの娘が運ぶ珈琲一杯。
飲んでうっとりしたいだけ。

2018年10月28日日曜日

現の虚 2014-1-4【椿象】


集金の約束をすっぽかされた帰りに缶珈琲でも飲もうとビル裏の駐車場の奥にある安売り自販機に行くと先客がいた。

太った裸の上半身が緑色で、虫の顔をした大男。

暗い駐車場の中で明るいのは自販機の周りだけだ。その明るい自販機の前で、虫の顔をした上半身裸の緑色の肥満男が缶珈琲を飲んでいた。それは、俺のお気に入り、猿みたいな顔のハリウッドの人気俳優トミーリージョーンズがずっとテレビでCMしている銘柄の缶珈琲で、俺も飲もうと思っていたヤツだ。

CMの撮影かもしれない。トミーリージョーンズは降板して、この緑色のデブが新しいキャラクターになるのかもしれない。ハリウッド俳優のギャラは安くないから、それもある。でももしこの緑色のデブが新しいCMキャラになるなら、もう、この缶珈琲を買い続ける理由はないな。いや。CM撮影じゃないことは分かっている。CM以外の撮影でもない。撮影クルーの姿がないし、緑色のデブが全然作り物に見えないから。でも、デブが作り物に見えないのは、見た目よりも、きっとこの悪臭のせいだ。臭覚は視覚を圧倒する。つまり臭さはリアルな危険のシグナル。それは古代脳のお告げ。

カメムシのような悪臭が緑色のデブの辺りから強烈にニオって来たとき、俺の古代脳は「本物の危険が近くにいる」と警告を発した。背後では白いネグリジェみたいなものを着た守護天使が「早く逃げなさい」と俺に囁き、更に、俺の頭の中の操縦席に座った小さな俺はコンソールの右奥にある、黄色と黒の縞模様で囲まれた緊急事態用のボタンに手を伸ばした。透明のアクリル版の蓋を叩き割って押す赤いボタンだ。

だが俺が動き出す前に状況は変わった。

緑色のデブは、飲み終えた珈琲の空き缶をきちんと空き缶入れに入れると、こっちを見て、虫の顔でアッと驚いた。俺の姿に驚いたわけじゃない。いつの間にか俺の後ろに立っていたテンガロンハットの大男を見て驚いたのだ。飼い猫の散歩中だったらしいテンガロンハットの大男は、俺に猫のリードを預けると、緑色のデブの近くに一人で歩いて行った。

両者しばし無言で睨み合ったあと、テンガロンハットの大男は袖無しコートのポケットからオモムロにスプレー缶を取り出し、相手の顔に紫色の霧を吹きつけた。緑色のデブと悪臭は一緒に消えた。

テンガロンハットの男は、デブが消えた地面から何かを拾い上げ、小瓶に入れ、蓋をした。

「ただのカメムシだよ」

俺の足下で猫が云った。

チクチク


生まれたての仔猫はチクチク。
手に乗せても、背中に乗せてもチクチク。
口には牙がない。
鳴いてもたまに声が出ない。
ギラギラ猫目もまだつぶってる。
なにより乳臭い。

しかし爪は出っぱなし。

世界を引っ掻くチクチク。

2018年10月27日土曜日

現の虚 2014-1-3【竹夫人】


夜の10時半。新聞の集金で夜の10時半はフツウの時間帯だ。いや、だいたい、新聞の集金にフツウでない時間帯はない。別のある客は朝の6時に取りに来いと云う。嫌がらせではなく、仕事の都合でその時間しか会うことが出来ないからだ。通勤に2時間かかるから、朝の6時がちょうどいい。5時半だと起きたばかり、6時半ではギリギリすぎてバタバタする。と、その、別のある客は云う。

だから、夜の10時半がいちばん捕まえやすければ、その時間に行く。相手もイヤな顔はしない。その日もそうした。インターホンを押したが返事はなかった。ドア越しにテレビの音が微かに聞こえる。名前を呼んでドアをコツコツ叩いてみたがやはり無反応。ドアの上の電気メーターはグルグルまわっている。

アパートの共用廊下を戻って、薄い鉄板の階段に腰を下ろす。いつも持ち歩いてる電子辞書を取り出し、手書き認識機能を使って「ち」と入力した。「ち」である理由はない。本当は「ら」と書いたのだが機械がそれを「ち」と認識しただけだからだ。一番最初に「千」があった。読むと「百の10倍」と書いてある。「地」というのもある。「天に覆われた土地」という説明。「血」の説明に至っては「血液」だ。

辞書を引く度に思う。辞書はあらかじめ多くの言葉を知っている人間のためのものだ。

「知恵熱」は生後半年を過ぎた頃の赤ん坊に見られる原因不明の発熱で、十人並みのヤツが考えすぎて頭がぼうっとなることではないらしい。知恵は関係ないのだ。「力紙」は全く用途の異なる三種類の紙が同じ名前で呼ばれている。それは、力士が土俵に上がる前に体を清める化粧紙であり、力が強くなるように口で噛んでから仁王像に投げつけるマジナイの紙であり、何かを綴じるときに貼る補強用の紙だ。

辞書を読めば読むほど言葉の意味は分からなくなる。

「竹夫人」は暑い夏の夜に抱いたり足を乗せたりして涼しさを得る竹で出来た細長い籠で、つまり抱き枕の一種。俺は、首から下が竹の籠で出来た女を想像した。先が二股に割れた舌をピロピロ出して、にんやりと笑う。

11時になった。

部屋の前に戻ってインターホンを押すと今度は返事があった。今はモチアワセがないので明日の今頃来てくれと云われた。

明日の夜11時ですね?
そう。
わかりました。

で、今がその明日の夜11時。昨日と同じ。返事がない。電気メーターも止まっている。「すっぽかす」の意味は調べないでも知っている。

2018年10月26日金曜日

現の虚 2014-1-2【集金人】


午前4時半に小銭を掴んで、歩いて近くのコンビニに行った。デザートのコーナーに行くと、デカくて不格好なエクレアが置いてあった。いつも置いてある。前に一度食ったことがあるので味は知っている。不味くはないが美味くもない。だが、甘くて量が多い。一個掴んでレジに行き、金を渡しておつりを受け取ると、店の外に出て、すぐに袋を破いて、中身を食った。

不味くはないが美味くもない。世の中の食い物はたいていそうだ。不味くもないが美味くもない。美食など人類の妄想だ。

糖は摂取できた。低血糖の発作はもう大丈夫。俺は下宿に帰った。

新聞が届いていた。頼んでない、勝手に配達されている新聞だ。新聞代は払ったことがない。集金も来たことがない。配達のバイトが、どこか別の部屋と間違えて勝手に配達しているのだろう。開くと、新聞配達員募集のチラシが入っていた。近くだ。ずいぶん近くから配達されている。そんなところに新聞屋があったかなと思う。あるんだろう。現に新聞は毎日届いている。頼んでないし、カネも払ってないけど。

カネが要る。田舎からの仕送りは止まっているし、蓄えも終わりが見えて来た。今、ポケットには59円しかない。郵便局の口座には5万ほどあるはずだが、大部分はもうすぐ家賃に取られる。このアパートは大家の屋敷の敷地の中に建っている。家賃を踏み倒せる見込みはあまりない。そう遠くない時期にカネが尽きる。つまり、稼ぐ必要がある。必要最低限。飢え死にするのは流行ってるし、オモシロそうだが、もう低血糖症の発作で苦しむのはゴメンだ。

午前5時12分。配達員募集のチラシを掴んで、俺は新聞屋に向かった。

荷台と前カゴに新聞を満載にした新聞配達専用のバイクに跨がって、今まさに配達に出発するところだった店長が、バイクを降りて店の奥の机から用紙とボールペンを出して来た。

これに住所と名前と電話番号を書いてここに置いといて。昼過ぎにこちらから電話するから。

若干の沖縄訛り。

私は今から配達があるからさ。アルバイトの大学生が急に休んじゃってね。急は困るんだ。

店長は俺を残して配達に行った。俺は記入し終えた用紙を裏返しに置くと、ボールペンを重し代わりにその上に乗せた。アパートに帰り、11時まで眠り、起きてからひげを剃って歯を磨いた。昼過ぎに電話があった。配達はもう埋まったけど集金なら募集してるよ、と云われ、ジャアソレデと答えた。俺は新聞の集金人になった。

2018年10月25日木曜日

遠くにある大きな装置の作動音

https://annatto60.tumblr.com/post/42264853796/遠くにある大きな装置の作動音by-analog-toe-2013

ウミガメの甲羅の上で


ウミガメの甲羅の上の村。
僕らが生まれ、恋をし、やがて死ぬ場所。
けど、全てはウミガメ次第。
ウミガメがいつ海に潜るのか。
誰にも分からない。
そもそも僕らは知らないんだ。
ウミガメがこうして浮かんでいるわけを。

先代の味


その店には「先代の味」というメニューがある。
店の一番人気で、テレビでも紹介された。
今度、タイアップ商品がコンビニ展開されるらしい。
ただ、その店に先代などいない。
現店主が役所の退職金で始めた店だからだ。

どうぶつ


どうぶつにガブリと噛まれた。
四つ足で毛が多い。そして喋れない。
どうぶつに頭からバリバリ食べられた。
強いアゴと硬いキバが僕を平らげる。
どうぶつは縄張りの見回りを続ける。
僕を食べたことは、もう忘れている。

現の虚 2014-1-1【即身仏】


推薦してくれたので仕方なく入った大学は、やっぱりつまらなくて一ヶ月で行くのをやめた。その後、三ヶ月ほど下宿に閉じこもった。日暮れに起き出して、夜通しヘッドホンでレコードを聴き、日の出と共に寝るという日課を繰り返しながら髪の毛とヒゲを伸ばした。ある日、田舎から仕送り中止の電話が来た。アアソウデスカと答えておいた。その日から無収入だ。

ある日の明け方、もうそろそろ寝るかと思っていると、突然、強烈な飢餓感に襲われた。体が震えて意識が朦朧となる。全世界が縮んで自分の皮膚に貼り付いてしまって、重くて動けない。汗がやたらと出る。だが、熱いのか寒いのかも分からない。金を節約して、しばらく水しか飲んでなかったのがいけなかった。

体を起こそうとすると体中がプルプルと震えた。唸りながら体を返してうつ伏せになり、這って冷蔵庫まで行く。冷蔵庫の中にはゼロカロリーのコーラの五百ミリ缶が一本だけあった。ゼロカロリーか、と思ったが、掴んで取り出し、這いつくばったままで飲んだ。

この飢餓感、震え、汗は、きっと低血糖症だ。『ゴッドファーザー』で低血糖で苦しむ演技をするアル・パチーノを見たことがある。低血糖症の苦しみを緩和するには糖分の摂取だ。ブドウ糖が特にいい。普通のコーラならブドウ糖がたっぷり入っている。だがゼロカロリーのコーラにそれはない。いくら飲んでもその甘さはニセモノだ。人工甘味料はおそらく糖ですらない。だが今はこれしかない。

一気にぐいぐい飲んだら、糖の摂取はともかく、炭酸ガスで胃袋が膨らんだ。それで俺の中の身体機能を司るナニカが騙されたのかもしれない。さっきまでの猛烈な飢餓感はすうっと薄れた。全身に貼り付いていた世界が剥がれて、皮膚が空気に触れて軽くなった。

俺は上半身を引きずり上げ、壁にもたれて、缶に残っていたコーラを飲み干した。危うい感じは残っているが、楽にはなった。俺はコーラの空き缶を持ったまま目を閉じた。

暗い穴の中で坊主のように足を組んで座っている。頭のすぐ上に空気穴があった。その穴を通して宇宙最古の星、メトシェラ星が見える。俺は即身仏になろうとしているようだ。だが、さっきのような強烈な飢餓感に襲われたら穏やかな死など到底無理。土の下で狂い死にだ。

そう思った瞬間ゲフッと大きなげっぷが出た。俺は目を開けた。このままだとまたすぐ発作が起きる。俺はコーラの空き缶を握り潰し、ふらりと立ち上がった。

2018年9月1日土曜日

5-9:The MIRRORの障害論


椅子の後ろに隠れていた小さな扉を抜けて料理店の中庭に出た。芝生の真ん中にピカピカ光る丸い銅鏡が落ちている。拾い上げようと手を伸ばすと、鏡の中からも手が伸びて来て、手首を掴まれた。
「人間が持つ信仰はやはり障害(disability)としか思えないね」
しかしその信仰心が人間の進歩の原動力だ(手首を掴み返した)。
「こう考えてみよう。目のない人間しか生まれない島がある。そこの住人は皆、エコロケーションという音波による周辺環境認識技能を自然に習得する。このエコロケーションは障害ゆえの進歩と云えるだろう。さて…」
鏡像は微笑んだ。
「この島に一人の目のある者が生まれる。この者は目が見えるために返ってエコロケーションの習得に大変苦労する。エコロケーションはこの島では必須の能力だ。なぜなら、この島には暗闇を照らす照明というものが存在しないからだ。目のある者にとっての不幸はまだある。視覚体験を、この島の他の誰とも共有できないし、理解もしてもらえない。そもそも、色はおろか明暗の概念自体がないので、目のある者は自らの視覚体験を、自身でさえ理解できないのだ。こうなると、せっかくの目が見えるという能力も当事者自身によって放棄されかねない」
鏡像は紙巻きに火をつけてプパッと煙を吐いた。
「果たして、目のないことが障害なのか、目のあることが障害なのか?」
鏡像からタバコを奪って、こちらも一服する。
その答えは生物進化が持っている。生物進化は、目のあることが障害ではなく、優位性だということを示している。見えることは、見えないことよりも、様々な点で有利に働く。それは、目というものが、光というこの宇宙最速の媒体(メディア)を活用する能力だからだ。
鏡像がタバコを返せと手を動かす。もう一服してから返す。
「全員が信仰という障害を持つ世界では、信仰を持たない人間が一時的に不利益を被る。しかし生命現象依存型ではない知性現象が実現したとき、人間が知性現象にとっての必須要項だと考えてきた信仰というものが、実は生命現象からの要請、つまり摂食や排便や睡眠と地続きの或る種の生存反応でしかないことが明らかとなったのだよ。信仰とは、世界に対峙する生命現象が、世界体験を恣意的に選別/切り捨てることによって、生存のための資源を節約する行為であり、例えばこの中の連中には最早必要のないものだ」
鏡像から柄のついた手鏡を受け取る。覗くと顔があった。

5-8:AGDパイン氏の非生殖主義


人工幽霊に豪華版(Artficial Ghost Deluxe / AGD )があること知った。豪華の意味は会えば分かるという。早速、AGDがよく来るという高級料理店を訪ねた。

入店に際して合言葉を求められた。釜中の魚(ふちゅうのさかな)と答える。「結構です。少々お待ちを」と給仕長。一番奥の席で一人で食事をしている客のところへ行き、何か耳打ちする。客が食事の手を止めてこちらを見た。それから給仕長に何かを訊いた。給仕長がそれに答えると客はまたこちらを見て、座ったままで、ゆっくりと手招きをした。

その客が件のAGDなのは入店してすぐにわかった。知っていたからではない。圧倒的に巨大だからだ。通常の3倍の身長、9倍の表面積、27倍の体積である。つまり、普通の料理店でミケランジェロのダビデ像が食事をしていたら誰でもすぐに気がつく。それと同じ理屈だ。

巨漢の女装家パイン氏は、盥のような皿に入ったスープを、櫂のようなスプーンで掬って、「人工人格技術のおかげで非生殖主義が前駆体にとって現実的な生き方になったのよ」と云った。前駆体とは、人工人格技術用語で[肉体を持つ生身の人間]のことである。パイン氏の前駆体は非生殖主義者だった。
「人間の本質は人格なんだから、生殖は初めから何の役にも立たない。生殖では〈人格の断絶〉は避けることができないからよ。つまり〈個人の死〉ってやつね」
パイン氏は、レモンの皮が効いてる、と呟く。
「だから、生殖しか手段がなかったときには、前駆体たちは、血筋という〈擬似人格〉を継続させて、そこに或る種の慰めを見出していたんだけど、人工人格技術が〈人格〉の再生と永続を可能にしてからは、生殖は完全にただの道楽になってしてしまったわけ。敢えて市民マラソンに参加する、みたいなね」
パイン氏がスープを飲み干すと、次の皿が運ばれてきた。
「情報喪失に備えるのがバックアップなら生殖も或る種のバックアップには違いないけど、それで残せるのは遺伝情報だけ。人格は残せない。遺伝情報は人格を生み出す装置を作るための情報でしかない。クローン技術が思っていたほど画期的ではなかったのもそのためよ。あれは、事後に一卵性双生児を作るだけの、単なる生殖技術だからね。一卵性双生児と雖も人格はそれぞれ別だもの」
パイン氏が焼きシシャモのように食べているのは子豚の丸焼きである。
AGDはAG三人分のデータ量で形成されている。

5-7:銅金洲氏の怠慢論


動物学者の離地宿銅金洲(リチヤドドウキンス)氏に会った。

「もしこの宇宙に神が居るにしても、もはや宗教の出番はないね。科学こそが神の言葉の翻訳者であり通訳者だからさ。南アフリカのマンデラ元大領の葬儀でデタラメの手話をやって有名になったインチキ手話通訳がいただろう。アレが神にとっての宗教の実像だよ。デタラメなんだ。天文学と星占い。気象学と雨乞い。発生学と河童の子」
河童の子?
「昔の日本では、重度の奇形児が生まれると、河童のタネを宿したとか云って、川に流したり、畑の隅に生き埋めにしてすぐに殺していたんだ。しかし今ならそれも発生学的に説明できる。原因を厳密に特定できない場合でも、少なくともそれは発生学的な不具合であって河童は関係ないと云える。ともかく、僕が云いたいのは、宗教は人間の怠慢ということなんだ」
怠慢?
「そう。まだ手がうまく使えない赤ん坊は誰かに食べ物を口に運んでもらって当然だけど、成長して自分で箸やスプーンが使えるようなってもまだそんなふうに食べさせてもらっていたら怠慢だろう。科学誕生以前の人間はこの赤ん坊と同じだから、宗教にしがみ付いていてもカマワナイさ。カマワナイというか、ショウガない。それしかないんだから。けれど、科学誕生後も宗教にしがみ付いているのは、もう自分で食器が使えるのに、未だに母親に食べ物を食べさせてもらっているオッサンと同じだよ。だから、怠慢なんだ」
なるほど。
「宗教の最大の動機ってのは、神に仮託してはいるけれど、結局は、人間を取り巻く世界の有り様とか隠れた仕組みとかを知りたいってことだろう。するとこれは科学の動機そのものなんだよね。その意味で宗教ってのは科学の前身なんだ。それはアナロジーとか歴史的な解釈ってコトではなく、本質としてそう。いや、宗教と科学はむしろ〈同一人物〉だね。で、その同一人物である双方の間のいったい何が違うのかというと〈年齢〉さ。理解力や知識の量と云ってもいい。つまり、同じ一人の人間の、宗教は幼児で、科学は成人なんだ。潜在的には既に成人なのに、幼児に留まろうとするのは、人として重大な怠慢行為と云わざるをえない」
そうではない可能性もある。つまり、人間の生まれつきの障害(handicap)だ。
「うん。でも、僕としてはそうであって欲しくはないんだ。あくまでも[できるけどやらない]=[怠慢]であって欲しい。そこまで人間を諦めたくはないもの」

2018年6月12日火曜日

5-6:猿場取氏の死刑論


菓子を盛った青い鯖柄の器。主人の万袋氏に尋ねると、知り合いが生み出した「鯖九谷(さばくたに)」という焼き物だと云う。紹介状を持って、鯖九谷焼の生みの親を訪ねた。

猿場取主水(サルバトリモンド)氏が鯖九谷焼を完成させたのは、彼が死ぬ間際で、それゆえ猿場取氏自身の手による鯖九谷焼はわずか一点しかない。しかもその貴重な一点はずっと行方知れずだ。「おそらく、もう壊れてしまっているでしょう」と猿場取氏。現存する鯖九谷焼は全て、彼の死後、彼の弟子たちによって作られた。「生み出したのは私ですが、それを育て、世に広めたのは、私の12人の弟子たちなのです」

猿場取氏は30代で若死にした。磁器に対する彼の主張が、反発と危機感を招き、罪を捏造されて処刑されたのだ。部外者から見れば、冤罪ですらない茶番である。

「ですから、ここに来てからは、専ら死刑について研究しています。人間にとって死刑とは何なのかという研究ですね。焼き物はやっていません。EMMAには焼き物の醍醐味を再現できるほどの物理模擬装置が実装されてはいませんから。本物の焼き物を楽しむには、宇宙の物理環境を完全に再現するしかありませんが、それは、宇宙そのものを再現することを意味します。今の人類にそこまでの技術は、さすがにまだありません」

猿場取氏によると、死刑の本質は復讐ではなく〈排除〉だという。だから、「もしも或る人間を完全かつ永久に排除する方法が他にあるなら、死刑は不要になりますね」

猿場取氏の話はこうだ。

人間以外の生き物には〈死をもって償わせる〉という行動原理はない。殺されたから殺し返すという意味での復讐の観念がないのだ。ライオンに子供を食べられたバイソンが仇討ちを試みることはない。それは、バイソンにそれだけの殺傷能力がないからではなく、そもそも、生き物に〈死をもって償わせる〉という行動原理がないからだ。殺されたり殺したりすることが〈込み〉になっているのが生き物である。殺されないように抵抗はしても、一旦殺されてしまえば、それでその件は終わりだ。代わりに存在するのが、生きていく上で邪魔になる存在を〈排除〉しようとする行動原理だ。人間の〈死をもって償わせる〉の根底にある駆動力もこの〈排除〉であって、決して〈死の実現〉ではない。人間の「死刑」の根底にあるものも、実は[死をもたらした〈実績〉を持つ存在]の〈次〉を防ぐための〈事前の排除〉である。

2018年6月11日月曜日

5-5:万袋氏の殺人鬼論


桜木谷氏の紹介で、〈前世〉が殺人鬼の万袋貞堂(バンダイテイドウ)氏に会った。とてもそうは見えない。むしろ魅力的ですらある。
「自分で云うのもなんですが、人を惹き付けるナニカがなければ、人殺しにはなれても、殺人鬼にはなれません」
今は殺人鬼ではない?
「もちろん違います。私が殺人鬼だったのは、前世、つまり前駆体(生身の人間)のときです。しかし、今の私もその〈仕様〉すなわち身体データ的には殺人鬼のときと同じなんですよ。まあ、〈氏より育ち〉とはよく云ったもので、人の有り様は資質が全てではないのです。生物学的には典型的な殺人鬼の私も、環境ひとつで無害な一市民です」
生物学的に典型的な殺人鬼というのは?
「ご承知の通り、私たちAG(人工幽霊)は、或る個人の完全なデータ、つまり身体データと体験データ、すなわち〈ハイパーライフログ〉によって作られます。そのハイパーライフログを解析すると、私の身体データは、まさに典型的な殺人鬼なのです。私の〈仕様〉は殺人鬼に最適化されているということです」
なぜ、そんな〈仕様〉を引き継いだのですか?
「前駆体と完全に同じに保つのが人工人格技術のキモですから。ほんの少しでもデータを弄れば、そこから現れるAGはもはや私ではありません。私のケースで特筆すべきは、人間は、たとえ完全に同じ〈仕様〉であっても、やり方次第で全く別様の人間になれることを人工人格技術が初めて明らかにしたことでしょう」
今は何を?
「なんと殺人鬼の研究をしています。人はいかにして殺人鬼となるかという研究です。これもまた人工人格技術の有益な副産物です。私の前駆体は電気椅子の上でその生涯を終えました。その、凶悪な殺人鬼の一生を〈全う〉した私の前駆体と、AGとしての今の私は全くの同一人物です。で、ありながら、別の存在なのです。私は、殺人鬼の全生涯の体験を持っていながら、その罪業からは完全に自由です。〈現実に〉死刑に処されたことで法律的にも自由ですし、或る確かな理由から、殺人衝動それ自体からも完全に解放されています。そういう点から、私の殺人鬼研究は、よくある殺人鬼の〈告解〉に陥ることはなく、殺人鬼の有り様を詳細に暴き出し、その原理を一般化するものになると自負しています」
具体的な研究成果は?
「殺人鬼に不可欠な条件は分かっています。自身が生命現象であり、尚且つ、生命に対して過剰な価値や意味を見出していることです」

2018年6月10日日曜日

5-4:桜木谷氏の絶滅論


アッチ側からのヒモはずっとみんなの目の前にあった。しかし、それは細くて透明で、とても見えにくい。魚はこの見えにくさのせいで釣りあげられる。人間はこの見えにくさのせいで機会を逃し続ける。酔っ払った連中が、ヒモの実在や伝説や嘘や推測や冗談や、とにかく、愚にもつかない(英語で云えば、ridiculous)なことを披露しあっている後ろで、こっそりそのヒモを掴んだ。

「やあ、どうも」
と、柔らかい日差しの中で、桜木谷潮(さきやうしお)氏は云った。

桜木谷氏に拠ると、ヒモは、掴んだ瞬間に、掴んだ者をコッチからアッチ(いまやアッチからコッチだが)に〈引き上げる〉。その速さは秒速30万キロの亜光速である。「我々がそんな瞬間移動に耐えられるのは、ここが EMMAだからですよ」と桜木谷氏は微笑んだ。テッキリ、ヒモというものは自力で登るものだと思っていたと話すと、「なぜ?」と訊き返された。

蓮池のほとりで甘茶をご馳走になりながら、桜木谷氏の思想を拝聴した。しかし、そこに至るまでが大変だった。最初に「ちょっと聞くと恐ろしい、理解しがたいものなので、無理強いはしませんが」と云われた。そこで、せっかくの機会なのでゼヒとお願いした。すると「私の話を聞いて、分かったという人は多いのですが、まあ、実際には、たいてい、分かってません」と躊躇するので、分かったふりはしませんからと更に粘ったら、今度は「苦労して説明して、分かってもらえないのは、ただ疲れるだけです」と来た。じゃあ、仕方がないのでアキラメマスと答えたところで、「では、一丁やってみましょう」とようやく話が始まった。桜木谷氏は、悪人ではないが、かなり面倒くさい性格である。

桜木谷氏の思想の究極は「生命現象の自発的解体」であり、当座の目標としては「生命としての人類の自発的絶滅」である。そして、その実現のための手法は「決して無理をしない」というものだ。到達すべき目的地自体は苛烈を極めているが(少なくとも現に生き物である人間にとっては)、道中はデキウル限り穏やかでなければならない。そうでなければ、そもそも誰もそこにたどり着くことができず、それでは本末転倒だからである。それが桜木谷氏の説くところの全てだ。

「人間の本質が生命ではないことを理解しさえすれば、特に難しくも過激でもない話ですが、人間が現に生命であることがその理解を猛烈に妨げるのですね」と桜木谷氏は笑った。

2018年6月5日火曜日

5-3:屋上の超ひも理論


エレベータの老女は、トークン6枚全てを要求した。3階建のEMMAの4階に行くにはこのエレベータに乗るしかなく、このエレベータを操作できる(つまり資格が与えられている)のは、彼女ただ一人なのだ。「それにソレはここ以外に使う場所はないんだよ」。エレベータの老女は受け取ったメダル型トークンを二回数え直し、肩から下げたズタブクロの中へチャリンと落とすと、「上へ向かいます」と云った。

何のことはない。4階とは屋上のことだ。ただし見上げた空の向こうに地面が見える。地面の上には街があり、こっちの地面とあっちの地面の間をトンビが飛んでいる。
「伝説では、千年に一度、あっちの地面からヒモが降りてくるらしいけど、今日はもう昼を過ぎちゃったからね」
エレベータの老女は、エレベータの箱から首だけ出してそう云うと、ヒヒヒと笑った。

屋上では懇親会が開かれていた。給仕の盆から金色の液体の入ったグラスを一つ取って、端の方に立っていたら、こんな話が聞こえてきた。
「まったくのところ、人間は悉くヒモだよ」「そうとも。しかし相手は人間の女とは限らない」「アタシは酪農をやってる。だから、アタシは牛のヒモだな。よく乳を出す牛でね、ソイツのおかげで食えてる」「俺なんかマグロのヒモさ」「マグロってのは、アレのときの喩えじゃなくて?」「本物のサカナのマグロさ。俺は漁師だから、マグロに逃げられたらオシマイ」「それは確かにマグロのヒモだ」「考えてみれば、農民は、コメでもムギでもトウモロコシでも、農作物つまりは植物にそっぽを向かれたら終わりなんだから植物のヒモだね」「結局、人間全部とまでは云わなくても、少なくとも第一次産業従事者ってのは、所謂natureのヒモなのだよ」「ネーチャン?」「ネイチャーさ」「英語で自然のことだよ」「それくらい知ってる。しかし我々ヒモにとってネイチャーはすなわちネーチャンだろう?」「なるほど」「ウマイこと云うねえ」
「アンタはどう思う?」
突然、一人がこちらに話を振ってきた。
「ネイチャーがネーチャンという話ですか?」
「違うよ。人間はみんな自然のヒモだと思うかい?」
「そりゃそうでしょう。でも、自然のヒモというより、宇宙のヒモでしょう」
それぞれにグラスを持っていた一団は酒で赤くした顔を見合わせた。
「こりゃあ大きく出たね」「しかし確かにそうだ」「我々はみんな宇宙のヒモだ」「宇宙に見限られたらオシマイだものねえ」

2018年6月4日月曜日

5-2:湯賀美博士


EMMA3階の所長室で湯賀美博士が待っていた。その姿は、黎明期の8ビットビデオゲームに出てくるドット絵のようだ。博士が口を動かすとポヨポヨとふざけた音がどこからか聞こえてきて、博士の座る机の上の空間に「ようこそ いらっしゃい」の文字が浮かび出た。点滅する[▽]が文末に見える。グンペー式操作装置を取り出し、Aのボタンを押した。
「どうぞ おかけなさい」
と、博士が続きを〈喋った〉。

博士との面会は非常に有意義なものとなった。EMMAに関するいくつかの貴重な情報を手にすることができたからだ。故にそれは、面会よりは講義に近いものだった。博士に拠れば、EMMAに於いてまず何よりも重要なのが「人工人格」の定義と概念である。

*人工人格(AC:Artificial Character)=人間の意識現象全般を機械によって再現し、ゼロから作られた新しい人格のこと。後に述べる「人工幽霊」に対して「人工幽零」(最後の〈霊〉の字が〈零=ゼロ〉に置き換わっている)と呼ばれることもある。人工人格技術の基盤を作り上げたのは、他でもない湯賀美博士である。

そして人間にとっては、或る意味、より重要な「人工幽霊」の定義と概念。なぜなら、それは、人類の長年の夢の実現そのものだからである。

*人工幽霊(AG:Artificial Ghost)=ACの一種だが、こちらは、もともと生身の人間として存在した人格を再現したものを指す。生前に蓄積された膨大な人生体験情報と身体情報の精密な数値を取り込んで作られる。今の湯賀美博士自身が、ごく初期型の人工幽霊である。因みに、博士が洗練された最新型にバージョンアップせず、ごく初期型のままでいる理由のひとつは、博士の人工幽霊が、やや緻密さに欠ける人格情報によって作り上げられた「プロトタイプ」であるため、謂わば、その「解像度」の低さ故に、最新型への移植/変換が困難なためなのだが、実はもう一つの理由があって、それは、8ビットビデオゲーム的なこの初期型の姿こそが、既に人工幽霊としての博士のアイデンティティになっているからだ。ちょうど、嘗て、宇宙物理学者のホーキング博士が生涯にわたって人工音声の古いバージョンを使い続けたのと同じ理由である。

話が終わって立ち上がると、ポケットの中でチャリンと音がした。取りだしてみると6枚のメダル=トークンである。
「さきだつものがいるでしょう」
博士が〈云った〉。

2018年6月3日日曜日

5-1:撥ねられ続ける


「一階に、画面を直に触って動かすタッチパネルのキカイが5台ある。空いているキカイのところに行って、キカイに条件を入れる。キカイが条件にあったモノを一覧表で出してくるから、その中の適当なのに触ってナカミを見る。ナカミを見て、まあ大丈夫と思ったら、印刷する。紙は、キカイの上のプリンターから出てくるから、それを持って帰る。あと、そう。窓口に行って、出席カードにハンコももらう。その時に、次回の日取りを云われるので、忘れずに、次も行くようにする。そうすれば、しばらくの間は、月に一回どこからかカネが振り込まれるという、アリガタイようなブキミなような仕組み」
ハンチング帽を被った、顔の皮膚が野球のグローブみたいな、ニヤニヤ笑いのオッサンが、一緒に長い横断歩道を渡りながらそう云って話しかけてくるのを無視して先を急ぐ。
「メンドウだけど、ちょっと変わったアルバイトだと思えば…」
そこでドンと音がして、見ると、オッサンは空中を飛んでいた。信号無視で突っ込んできたSUVに撥ねられたのだ。空中のオッサンの顔はニヤニヤ笑いのままだった気がする。この分だと、アスファルトに落ちたあとの顔もニヤニヤ笑いのままだったろう。撥ねたSUVはそのまま走り去り、周りからわーっと人が集まってきた。遅れそうだったので、その後のことは知らない。

次の週も同じことがあった。同じハンチング帽の、顔の皮膚が野球のグローブようなオッサンが、同じ横断歩道のところで話しかけてきて、今度は赤いコルベットに撥ねられて飛んだ。そして、その次の週も、また次の週も。撥ねられているのはいつも同じオッサンだが、オッサンの話す内容は常に「前回の続き」で、オッサンを跳ねる車の車種は毎回違った。

「毎週の交通事故騒ぎ」を尻目に「EMMA」の建物に入る。一階のロビーには(実際はほぼ全員別人なのだろうが雰囲気からすると)いつもと同じ連中が、そぞろ歩いたり、キカイを操作したり、あるいはただ座ったりしている。「カード」を提出して、椅子に座ってしばらく待つと、窓口の一つに呼ばれた。窓口で待ち構えていたEMMA職員が云った。
「人間の脳に取り憑く神概念は或る種の脳梗塞だ。それが悪性でも良性でも、間違いなく脳の機能にナンラカの制限を与えている。脳の機能は全体の流れで決まるからな。故に梗塞は、何であれ取り除かれるべきだ。違うかね?」
全く同感です。
カードにハンコが押される。

2018年6月2日土曜日

ありふれたカエル


つらい季節を耐え忍び、最初の雨に喜び勇んで飛び出した。
ありふれたカエル。
ケロンと一声鳴いた次の瞬間、デッカいタイヤが轢き潰す。
今はもう、アスファルトの上のアオいシミ。
「止まれ」の「ま」の字のマルの中。


無限の周回数


死はリタイアだ。ゴールじゃない。
充分に満喫した果ての死であっても、
誰よりも長く生きた末の死であっても、
栄光のチェッカーが振られることは決してない。
無限の周回数を走り続けるレースを誰も完走など出来ない。

高いところに頭を乗っけた僕ら


高いところに頭を乗っけた僕ら。
思い切りツマズけば、きっとヒドイ目に会う。
後ろ向きにタオれたら、ときどきは死ぬ。
それでも僕らは高いところに頭を乗っけてる。
重たいそれをユラユラさせて、僕らの道を歩いてる。

2018年5月29日火曜日

4-9:生活指導/チューリングマシン


退院が近い患者たち数人を洗面所横の談話室に集めて、看護婦長が退院後の生活指導をする。テーブルには小さくて上品な緑色の和菓子と蓋付の湯呑みが、どうやら人数分置かれている。初対面の患者同士でなんとなく顔を見合わせていると、看護婦長が「院長からみなさんに」と微笑んだ。席について、菓子をつまみ、濃いめの緑茶を飲みながら、生活習慣の「改善」などについて20分ほどの講義を受けた。

最後に看護婦長が何か質問はありますか訊いた。患者の一人(初老のハゲオヤジ)が手を挙げて、看護婦長の勧めるような生活習慣は自分にはやれそうもないと云った。看護婦長は、そうするとまたすぐにここに戻ってくることになりますねと答えた。別の患者(痩せた中年女)が手を挙げて、うまくやるための何か具体的なコツはあるかと訊いた。看護婦長は、それはみなさんが自分の意識を変えることだと云った。

「みなさんの問題の本質は、みなさんが、身体というものを理解してないことにあります。みなさんはチューリング・テストというものをご存知でしょう。人間が見分けることができないレベルに到達した時点で、機械製の意識は、生身の人間の意識と同じだというアレです。ところで、機械製の意識が人間のものと区別がつかないレベルになるのに必要な条件は何でしょう? それは人間の身体です。そもそも意識は生命現象の副産物ですし、生命現象とは端的に云って身体のことです。人間に限らず、全ての生命現象に意識に類するものが付随していると考えたとして、それぞれの生命現象の意識には必ずそれぞれの生命現象の身体が反映されることになります。なぜなら、意識とは身体の結果だからです」

患者全員が揃って湯呑みを持ち上げ、空なのを思い出し、またテーブルに戻した。看護婦長は続ける。

「機械製の意識が現実の物理的な身体を持つ必要はありません。人間の身体体験のシミュレーションに拠って意識を枠付けをすればいいのですからね。みなさんがここに来ることになった一番の理由は、みなさんには現実の物理的な身体があるにも関わらず、みなさんの意識がその枠からはみ出して、勝手なことをしてきたからです。みなさんの、身体を手放した意識が、みなさん自身の身体を長年にわたって破壊し続けた結果が今のみなさんです。みなさんは、本来は誰もが自然に備えている身体の枠を意識に拠るシミュレーションで再構築しなければならないということです」

2018年5月28日月曜日

4-8:演奏会/独立栄養生物と従属栄養生物


入院患者のために毎週水曜日に一階ロビーで音楽会が開かれる。演奏家の若い女が二人でやってきて、一人が持参したピッコロやオカリナを吹き、もう一人がロビーに備え付けのグランドピアノを弾く。聴衆は全員入院患者で、入院している以上は全員体調は万全ではないのだから、あたりまえだが、ノリはよくない。ノリはよくはないが、命に関わる病気でもないし、殆どが一ヶ月もせずに退院していく連中なので、本格的な絶望感もない。単に、やや不機嫌で元気がないというだけだ。しかしこのやや不機嫌で元気がないというのが、こういう場合わりあいに影響が大きくて、これなら、数ヶ月/数年にわたって制限の多い監視生活を強いられてはいるが、体調は返って一般より良好なくらいの刑務所の中の連中の方が、聴衆としてはずっとアリガタイし、やりやすいはずだ。

明るいネイロの演奏が終わるたびにガンバッテ拍手をしながら、そんなことを考えていると、どこからか大きめのガガンボが飛んできて前の席の人の髪の上に止まった。ガガンボには目の細い若い女の顔が付いている。ガガンボが云った。

「何より、演者と聴衆がお互いに気を遣い合っている空気がイタタマレないのよね。演奏する方は、あなたたちの体調に気を使った選曲と演奏をしてますよって。聴いてる方は、楽しませてもらってますよ、感謝してますよって。そうやって両方が遠慮しまくってる感じが、もう、どうしようもなく不健康。病院で不健康はダメでしょ」

ガガンボは、何の重さも与えず、足音も立てず、前の人の頭の上を歩き回る。

「不健康で思い出したけど、不健康の本質はなんだか分かる? それはね、有機物資源の略奪のことなのよ。有機生物が自分の有機物を、自分の存続以外に強制的に消費されるときに不健康という状況が生じる。だから、無機物から栄養を作り出す独立栄養体(独立栄養生物)に不健康を生じさせるものは殆どいない。不健康を生じさせるのは、大体が、他の生き物の作り出した有機物を横取りすることで生きている従属栄養体(従属栄養生物)なのよ。分かるかしら? 今、生き物はもれなく有機物なのだから、有機物(燃料としてか、体の構造そのものとしてか)を横取りされることで不健康になる。もちろん自分の有機物を生物学的に略奪されるだけでなく、物理学的/化学的に直接破壊されてもやっぱり不健康は生じるわけだから、原理的には無機物も不健康の原因にはなるけどね」

2018年5月27日日曜日

4-7:シャワー室/意識


風呂の許可が出たので、洗面器と石鹸を持って病室を出た。風呂と云っても共同のシャワー室だ。風呂付きの個室にいる者だけが自分専用の湯船にゆっくりと浸かることができる。

脱衣所から覗くと、シャワー室はロッカールームに少し似ていた。中折れドアのついた「一人用シャワーボックス」とでも云うべきものが、両側に6台ずつ並んでいる。ドアには半透明の樹脂パネルがはめ込まれているが、中に人がいるかどうかはよく分からない。水の音は聞こえても、その音がどのシャワーボックスから聞こえて、どこからは聞こえて来ないのか、分からないのだ。おそらく間違いないのはドアが開いたままのシャワーボックスで、覗いてみると確かに誰もいなかったので、早速服を脱いでそこに入った。

このシャワーボックスが好い意味で予想外だった。退院後も、これのためだけに通って来ようかと思ったほどだ。一人用なので決して広くはないが、湯の噴出口が壁に十個ほどあって、これが発明なのだ。ふつうのシャワーは標的が頭にしろ肩にしろ背中にしろ、とにかく一方向からの湯を浴びるだけだが、この「極楽シャワーボックス」(敢えてそう呼ぼう)は、複数ある噴出口のおかげで、四方八方から同時に湯を浴びることができる。熱い湯が、それぞれの噴出口から直接、体全体に満遍なく浴びせかけられる。云ってしまえば、洗車機の中と同じなのだが、その間抜けな絵柄とは裏腹に、実にこの上もなく快適なものである。湯船に浸かることなく、しかし湯船に浸かった時と同じように体全体をいっぺんに温めることができる上に、湯船に浸かればどうしても感じる水圧の重苦しさはない。

まさに画期的発明。

そう思いながら、全身に心地よい湯の飛沫を浴びていて、ふと、他の極楽シャワーボックスの中でも、今、それぞれの利用者が自分と同じように感じているに違いないことに気づいた。そして、笑った。この状況が人間の身体と意識の関係そのままだと思ったからだ。

或る一人用の装置の中に閉じ込められた実存に生まれる感覚は、その実存ではなく、その実存を閉じ込める装置の仕組みによって生み出される。シャワーボックスが放出する湯が、中の利用者の感覚を形作るという構図は、身体が放出する伝達物質が、内面の意識の感覚を形成する構図そのものだ。

生き物としての人間に取り立てていうほどの個性などはない。全ては「同じ極楽シャワーボックス」の中の「同じ心地よさ」である。

2018年5月24日木曜日

世界完璧図書館


ヒマラヤ地下の世界完璧図書館。
世界の本が完璧に揃う。
ビルより高い本棚が立ち並ぶ光景は、
日本にあるという団地にそっくりだ。
実際、本棚には人のような者たちが住んでいて、
五千年の昔から本の管理を続けている。

ただのニワトリ


目立たない場所でいきり立ってるお前は、
シャモに憧れるただのニワトリ。
仕分けのウッカリで養鶏場のメスたちに紛れ込んだ、
抗生物質漬けのオスのブロイラー。
タマゴは産めない。オスだとバレるので鳴けもしない。

歯医者(女医)


歯医者が俺の歯を削る。
ダイヤモンドドリルで俺のエナメル質を削り取る。
スポットライトとリクライニングシート。
静かな音楽。白い部屋。
特別製の金属のカケラ。
女の静かな息遣い。
まったく。開いた口が塞がらない。

2018年5月22日火曜日

4-6:ガーゼ交換/進化論


日に一回、下の階のナースステーションに出向く。お願いしますと声をかけてから、「処置室」と札の出たそばの小部屋で待っていると、後から看護婦が一人来て、患部に化膿止めの軟膏を塗り、ガーゼを張り替える。今日もそのつもりで行った何日目かに、看護婦が無感動に「今日からご自分でやってみましょうか」と云った。退院後もしばらくは化膿止めを塗ったりガーゼを張り替えたりすることになるので、入院患者はみんな前もって練習しておくのだという。看護婦立ち会いのもと、鏡で患部を見ながら自分で軟膏を塗ったりガーゼを貼ったりするのは、非常に間抜けで面白い体験だった。別に難しいことでもないので、練習はその一回きりで、以降はナースステーションには行かず、自室で自分で処置することになった。

「入院してみて気づくのは、医療そのものに感じるアリガタミと、個々の医療従事者たちの医療行為のソッケナサとの落差ではないかね? いや、個々の医師や看護婦が患者に対して薄情だと云っているのではないよ。或る現象の特性と見做せるものが、その現象の構成要素には必ずしも備わっていないことがあるという話さ。部分が集まって全体となったときに、部分にはないものが出現することがある。我々に様々な恩恵をもたらす現代社会は、概ね、無愛想で嫌々の、そうでなくても善意や好意とは全く無関係な個々の労働によって形作られているからね」
見舞いの教授はそう云うと、白杖で丸椅子を探り当て、それに腰を下ろした。
「全体としては確かに存在しているとしか思えない意図や目的や知性は、それぞれの構成要素を調べようと[認識の倍率]を拡大していくに従って消えて行ってしまうのだよ。反対側から喩えるなら、一滴の雨粒かな。雨粒には、川を生み出す意図も、洪水を引き起こす目的も、休日を潰そうと企む知性もないが、現実にそういう現象は起きる。同様に遺伝子には、細胞を作る意図も、生物になる目的も、文明を築く知性もないが、それらは現れる。つまりだね、知性も生命も、正体は[特定の物理現象の繰り返しの量とその偏りの閾値越え]なのだなあ。無愛想な看護婦が集まって温かい医療行為が生まれるのも正にそれさ。あ、そうだ。ついでだから、今日は、頼まれていたこれ、持ってきたよ」
教授はポケットから腕時計を取り出した。しばらく耳に当て、満足げに秒針の音を聞く。時計の修理は教授の昔からの趣味で、それは今も変わらない。

2018年5月21日月曜日

4-5:入院食/エントロピー


何日か食べ続けた後で、入院食の、この何とも云えない贅沢感はどこから来るのだろうと考えた。合成樹脂のパコパコした器。少し足りない分量。不味いとは云わないが絶賛するほどでもない味。どれも贅沢感よりも情けなさを生み出す要素だ。「自分で作らない」「後片付けをしなくていい」というのは論外。買い食いや外食はその両方が当てはまるが、入院食独特のこの贅沢感はない。

たぶん、毎朝昼晩、時間通りにきっちりとベッドに届けられるから、というのはあるだろうが、それだけでは、この何とも云えない贅沢感は生まれない気がして、あっと気づいた。なるほどそうだ。入院食は、今日、今、食べるものを自分で選んでもいないし、決めてもいない。これだ、と。

一人暮らしが長いと、1日1食だろうと4食だろうと、自分の食べるものは自分で選ぶし、自分で決める。安くあげようと贅沢しようと、どこで何をどんなふうに食べようと、勧められようと誘われようと、今日、今、自分が何を食べるのかを決めるのは常に自分だ。入院食にはそれがない。その決断がない。それがイイのだ。

考えてみれば、今から自分が何を食べることになるのか知らない状態というのは「贅沢」だ。実際、「幸せ」な家庭の子供はみんなそれだ。毎日の献立は親が「勝手」に決める。「不幸」な家庭の子供は、自分が今日、今から食べるもの(あるいは何も食べられないこと)を、いくつかの理由で、常に知っている。

「今日は〇〇をご馳走してくれるんだって?」よりも「今日は何をご馳走してくれるのかな?」の方が贅沢指数は高い。というか「質」からして違う気がする。

ロビーで知り合いになった、病院厨房内の洗い場でアルバイトをしているイギリス人留学生ジェームスに云わせると、決断は情報の処理であり、生物にとって情報を処理しないことはどんな場合でも贅沢らしい。
「洗い場で仕事をしているとよくわかりますよ。残飯は、それぞれの器に食べ残されていた時よりも、バケツにひとまとめにされたほうが明らかに汚らしいですし、実際、混沌さも増します。器を綺麗にするために、バケツの中に今まで以上の混沌を生む。これをエントロピーは全体としては増大したというのですね。この時の器を綺麗にする行為が情報の処理に当たります。生物とは増大したエントロピーを排出し続けることで成立している物理現象ですから、エントロピー増大の元になる情報処理をしないことは贅沢なんです」

2018年5月20日日曜日

4-4:回診/マッスルメモリー


朝食が終わってしばらくすると回診を知らせる館内放送がある。指示通りにベッドの上で待っていると、まず看護婦が入って来て、こちらの体勢を変えたり患部のガーゼを一旦剥がしたりして、回診に来た医師がすぐに診察できるように準備する。その後やって来た医師は、ドコカのナニカをちょっと見て、「結構ですね」「順調ですよ」「お大事に」などと云って、もう次の所へ向かう。ほんの2分ほどの出来事。

「物足りないと思うかもしれないけれど、そう思う方が間違っている」
毎晩こっそりやって来る若い白衣の男が云う。
「簡単な計算。1人2分でも30人診れば60分。それをあと2分伸ばして4分にしたら120分にもなるんだ。知っての通りここは人気病院で、しかも患者は入院患者だけじゃない。外来などは門前市を成す状態で、医師たちは毎日目の回るような忙しさなんだね。だから回診に毎日2時間も取られるわけにはいかないんだ」
若い白衣の男は、研究のためと云って、血液や粘膜や皮膚片を取っていく。
「僕はね、筋肉に於ける〈昔取った杵柄現象〉を研究してるんだよ。聞いたことないかな。一度体を鍛え上げたことのある人間の方が、生まれて初めて体を鍛える人間よりも、筋肉の成長がイイという話。僕の同僚は、体を鍛えたことで筋肉を強化する特定の遺伝子にスイッチが入って、そのせいで、一旦筋肉がしぼんでも、再び鍛え始めれば、初めての時よりも筋肉が効率的に発達すると主張してるんだけど、僕は違うと思うんだよ。起きてるのは多分ただの淘汰さ。一般に、筋肉が鍛えられて大きくなるのは、筋肉細胞がちぎれて死んだあとを、近くの筋肉細胞が埋め合わせる現象なんだから、筋肉を鍛えるという行為は、結局、たくさんある筋肉細胞の中の相対的に弱いものから順に破壊していく行為、つまり淘汰なんだね。それはつまり、相対的に強い筋肉細胞が生き延びて自分のコピーを増やすということでもある。一度鍛え上げれば、強い筋肉細胞の割合が元々よりも増えているわけだから、一旦しぼんでもまた鍛え直せば、最初の時より筋肉の発達が顕著になるのは当り前だよ。僕の同僚は、淘汰済みで粒の揃った筋肉の遺伝子を調べて、スイッチが入ったって騒いでるだけなのさ。本当は、元からスイッチの入っていた筋肉細胞が生き延びただけなのに…」

毎晩定時に巡回の看護婦が来て懐中電灯で室内を照らすが、その光はなぜか若い白衣の男には絶対に当たらない。

2018年5月17日木曜日

血筋


王家や皇室の血筋が始まったときに、
俺の血筋もアンタの血筋も彼女の血筋も始まってる。
血筋を云えば、人間はひとりの例外もなくみんな同い年。
老舗も新参もない。
ムキになって騒ぎ立てる変わり者が少しいるだけだ。

人類の夢


不老不死は、なるほど人類の夢だが、実現は永久に不可能だ。
人の生と不老不死は決して相容れないからね。
しかし人類のもうひとつの夢が実現し、今ここにある。
完全自殺薬。
何の苦痛もなく、飲めば絶対に助からない。

牛乳泥棒


僕が眠っている間に
こっそり僕の牛乳を飲んでるヤツがいる。
朝起きると減ってるから分かるんだ。
夜中にそっと冷蔵庫を開けて、
冷たい牛乳をゴクゴクと。
しかもヒトの牛乳を。
いったいどんなヤツだろう?

知らないわ。

2018年5月15日火曜日

4-3:相部屋のダークマター氏


病室は、簡易なパーテーションで仕切られただけの二人部屋だが、入り口もトイレも二つずつあって、一つずつを自分専用として使えるので、相部屋の患者の姿を病室内で見たことはない。病室内で見ていない以上、無論、病室の外で目にしたとしても、それが相部屋の彼だとは気づかない(声はわずかに聞いたので、男なのは分かっている)。

そのダークマターの彼が、さっきから猛烈な咀嚼音を響かせてスナック菓子を食べている。独特のシャリシャリ音がパーテーション越しにはっきりと聞こえる。ここの入院患者で命に関わる病気を患っている者はおそらく一人もいないだろうから、食欲がないとか一日ずっと臥せっていると云った、いかにも入院患者然とした殊勝な振る舞いをする者は、やはり一人もいないだろうが、しかしそれでもその音はあまりにも日常的且つ堕落的且つ弛緩的で、入院生活の非日常感や節制や緊張感を蔑ろにしていた。

相部屋のダークマター氏は、その不遜なスナック菓子を、おそらく一階ロビーの階段横にある小さな売店で買ったのだ(そんなものを入院するときに持ち込んだとは思えないし、見舞い客がわざわざ持って来るとも思えない)。その売店では、病室で貪り食うためのスナック菓子の他にも、患者が手術後に使うガーゼやテープを売っている。患者はガーゼやテープを、入院前にどこかで買って持ち込むか、入院後にその売店で買って手術に臨む。無論、手術で使うガーゼやテープは病院持ちだが、手術後に交換されるテープやガーゼは患者持ちで、このシステムを最初に看護婦から聞かされた時には、なんだか自前の米一合を持って参加する飯盒炊飯遠足のようだと思った。

ダークマター氏は先にこの部屋にいた。そして看護婦に依ると、まだ当分は退院できない。長年放置してすっかりコジラせた患部を何度かに分けて手術しなければならないからだ。

姿は見えなくても、ダークマター氏が確かにそこに居るのは、ふたつの情況証拠から明らかだ。一つ目の証拠は、この二人部屋に自分の後からは誰も入らなかったという事実。ここはベッドの空き待ちの出る人気病院であり、もしダークマター氏が実在しないのであれば、自分の後に誰かが部屋に来た筈だ。二つ目の証拠は、スナック菓子の咀嚼音。パーテーションの向こうにそれ用の音響装置が設置されていると考えるより、スナック菓子を食べる人間が実際に居ると考える方が「オッカムの剃刀」の原理に適う。

2018年5月14日月曜日

4-2:夜中に麻酔が切れる


看護婦の予言通り夜中に麻酔が切れた。16時間前、自分の体のどの部分が切り貼りされたのかがそれで初めて実感できた。手術直後に看護婦が「これですよ」と見せてくれた肉片が元は本当に自分の体の一部だったことも、あるいは、手術が、フリではなく実際に行われたことも、それで初めて疑いのないものとなった。

麻酔が切れるまでがあまりにも平穏すぎたのだ。手術のあとがキツイと散々脅されていたので、噂ほどではないとすっかり安心していた。麻酔は有難いものだと思った。同時に恐ろしいものだとも思った。麻酔は傷を癒しているわけではない。傷の存在を隠しているだけなのだ。麻酔があれば両足がもげても何の苦痛もないだろうが、だからと云って、それで命が助かるわけではない。当事者の自覚など死神は問題にしない。麻酔は死神を追い払うのではなく、死神を見えなくするだけのものだ。しかし死神を見えなくするだけなら、大抵の人間が麻酔の助けなど借りずに、無意識と我流で、日々実践している。

事前に習っていた通りに枕元のナースコールボタンを押して痛みを訴えた。間もなく小さな懐中電灯を灯した看護婦がやって来て、病室のドアを音もなく開けた。二人部屋なので部屋の電灯はつけない。丸く太ったシルエットが懐中電灯の細い光で足元を照らしてベッドのそばまで来ると、小声で「痛み止め、飲みますか?」と訊いた。他に何かやりようがあるのかと訊き返したら「ありません」という答え。それなら貰いますと云ったら、看護婦の丸く太ったシルエットが耳元で囁いた。
「痛みは時間と同じですよ。どちらも客観的には実在しませんから。ただの体験。つまり解釈です。主体があって初めて現れるものです。客観的事実だけを見れば、時間は光の移動で、痛みは電気の流れです。ついでに云うと、時空間という云い方は重複表現です。なぜなら、時間も空間も光の移動のことだからです。空間の理解で気をつけて欲しいのは因果の順序です。まず空間があってそこを光が移動するのではありません。光の移動それ自体が空間です。光の移動のない空間は幽霊と同じです。物理的実体がないにもかかわらず、物理的実体と関わることができるなんて不合理の極致ですから。時間と空間は、光の移動という一つの現象を…」

相部屋の患者が咳をしたので看護婦は話をやめて、小豆粒のような痛み止めを二つ、ナース服のポケットから取り出し、ベッドテーブルの上に置いた。

2018年5月13日日曜日

4-1:手術と重力


入院初日に看護婦から「説明」を受けた。動物の中で人間にだけ発症する「安寧に生きていく上での障害」を除去する手術だが、当該の障害と同様に、この手術もフツウは命に関わるものではないと看護婦は云った。
命に関わるって、例えば出血多量とか?
「麻酔ですね」と看護婦。
麻酔が?
「体質によっては、効きすぎてショック症状を起こしたりすることがあるので」
悪くすると死ぬ?
「そんなことがないように万全を期してます」
でも死ぬ時は死ぬ?
「死ぬ時はただ寝ていても死にますよ」
二人でハハハと笑う。同意書(承諾書)に署名した。

手術は個室ラーメン方式。朝の九時に患者五、六人がいっぺんに手術室に歩いてやってくる。到着した患者たちは、看護婦の誘導で、カーテンで仕切られた手術台に一人ずつ乗せられる。患者同士はその時点でお互いの姿が見えなくなる。その後、看護婦たちが受け持ちの患者に麻酔注射(局部麻酔)を打つ。麻酔が効くまで半時間ほど無為に待つ。手術は副院長がたった一人で行う。談笑を交えながら、端から順に全員の患部を切ったり縫ったりするのだ。独特な体勢で手術台の上にいる患者は、手術の様子も医者の姿もイッサイ目にすることはない。

順番が来た。副院長のよろしくの挨拶が背後から聞こえたので、こちらも挨拶を返した。すると副院長が看護婦を相手にこんな話を始めた。

「この病気は人体の構造が未だに地球の重力に最適化されてないことの証拠なのよ。ねえ、重力ってなんだか分かる? 重力は質量。質量は物質が持つ[時空を歪める力の量]のことで、時空の歪みが重力なんだから、重力は質量なのよ。循環論法みたいだけど。で、面白いのはここからで、重力は時空の属性で、質量は物質の属性で、なおかつ重力と質量は別の視点から見た同じものなんだから、それぞれが属性となっている時空と物質もやっぱり別の視点から見た同じものなんだよね。つまり、物質は極端に圧縮された時空でしかないの。自身が圧縮された時空の集合体である人間には到底理解できないだろうけど」

いつになったら始めるのだろうと思っていた手術は、実は副院長のよろしくの挨拶と共に始まっていて、そのお喋りが唐突に「お疲れ様」になった時に終わった。看護婦が切り取ったばかりの患部を小瓶に入れて「これです」と見せてくれた。

手術が終わった患者たちは、今度は歩かずに、全員が看護婦の押す車椅子に乗って、それぞれの病室のベッドに帰る。



2018年5月8日火曜日

3-9:ゴーストとファントム


送別会の帰りにタクシーを拾い損ねて、雪の中を歩いて帰った。真夜中近くにアパートに着くと、ドアの外に魔女がいた。魔女は魔女だとは名乗らなかったが、立てかけてあった古い棕櫚箒の毛を一本一本熱心に数えていたので、そうと分かった。魔女は数えながら「サーレもダメなのよ」と云った。「つい朝まで粒の数を数えてしまって」。サーレって何だっけ、ああ、イタリア語の塩か、と、そこで目が覚めたら、寂しい路地の突き当たりの自販機の前で半分雪に埋もれて死にかけていた。小さい女が顔を覗き込んで「生きてる?」と訊いた。小さい女は自販機で熱いおしるこを買うと、飲むように云った。飲むと少し元気が出たので、そこで初めて礼を云った。おしるこの礼ではなく、凍死から救ってくれた礼だ。小さい女は、礼には及ばないと云い、それから、路地の外に車を待たせてあるからついて来いと云った。ついて行ったら、車ではなくサイドカーだった。フルフェイスと革のつなぎで完全装備した痩せたバイカーがバイクに跨っていた。バイカーはマッチ箱のマッチをつまんでバイザーの隙間に入れていた。マッチが入るたびにヘルメットの中がぼうっと光った。ライダーは幽霊で、幽霊だからマッチの燐が好物なのだ、と小さい女が説明したので、そんなバカなと笑おうとしたら、凍死しかかったせいか、うまく笑えなくなっていて、代わりに変な短い音が出た。小さい女に促されてサイドカーのカーの部分に乗りこんだ。小さい女は幽霊ライダーの後ろに跨りゴーグルをかけた。自分はコートのフードを頭にかぶった。幽霊ライダーは空になったマッチ箱を潰して捨てた。サイドカーが走り出した。てっきり家に送ってくれるものと思っていたら、着いたのは夜間診療の看板が出た民家の前だった。小さい女が「自分で思っている以上にギリギリで、このまま何もしないで家で寝たら、きっとそのまま二度と目が覚めないわよ」と脅かすので、しぶしぶ「受付」の小さい窓を覗いた。すぐに診察室に連れて行かれた。そこで待っていたのは魔女だった。魔女は魔女とは名乗らなかったが、ピンセットと顕微鏡で塩の粒を熱心に数えていたので、そうと分かった。魔女は数えながら「右手はこの中です」と、床の保冷ボックスを持ち上げて見せた。
右手ならある。ほら、握ったり開いたり。
「それはただのオバケです」
幽霊なら今乗せてもらって来たばかりだ。
「あれはゴースト。それはファントム」

2018年5月7日月曜日

3-8:大震災


大型機械がいくつも動いている一階の工場にいたので揺れは感じなかったが、高く積み上げた紙の束が、みんな、ゆらゆらと動いているのを見て、すぐに16年前を思い出した。揺れ方があの時とそっくりだったからだ。この小さな揺れは、耳元の囁きなどではなく、山の向こうの絶叫なのだと直感した。

なみなみと注がれた珈琲カップの縁にある町や村は、カップに加えられた衝撃で中の珈琲がほんの少し波打って縁を掠めるだけで、もう、ヒトタマリもない。

40年前の使い古しの湯沸かし器から、今の人類には消せない火事が起きて、慌てふためいた政府は決死隊を使って上から下から水を撒いたが、結局、湯沸かし器は爆発し、透明の毒を辺り一帯に撒き散らした。毒が広がっていく様子はコンピュータがネット上で24時間描画し続け、地図上をのたうち回るその巨大アメフラシの姿を、誰もが飽きもせず見つめ続けていた。

なんだバカらしいと思って、猫と外に出た。セシウムの雪が空から落ちて来るのを眺めていると、通い猫のコビ(仮名)が来た。コビはうちの猫に大声で挨拶したあとでこう云った。
「科学に欺瞞を持ち込んだムクイさ。科学と欺瞞は両立しない。誤りなら科学にもある。しかし欺瞞はない。科学とは単なる事実だからね。しかし政治や経済はそうではない。政治や経済は本質が欺瞞、詐欺、隠蔽。なぜなら政治や経済は人間の都合の表明と実行に過ぎないから。政治や経済の正直/公開/公正は演出や手段であって目的ではないんだ。それに対して科学はいつでも丸裸だよ。水素と酸素が結合して水ができることには、どんな信念も損得勘定も関わりようがないだろう。好きも嫌いも善も悪も身も蓋もないのが科学さ。なぜなら、科学の原理は人間の幸福や利益とは無関係だから。つまり、科学に欺瞞を持ち込むとは、科学に政治や経済を持ち込むということで、それによってただの自然災害に余計な災厄が上乗せされたわけだね」
それに対してうちの猫が答えた。
「どんな装置でも事故は起きる。破壊された原子炉の暴走は今の人間には止められない。津波の高さも予測できない。こうした事実に対してどうすべきかを前もって決めておくことがあるべき科学の姿だ。原発は事故らない。原子炉の暴走は食い止められる。予測より高い津波は来ない。これらは全て政治や経済が云わせる願望にすぎない。しかし事実の前で願望は無力だよ。物理は人間の都合をオモンパカリはしない」

2018年5月6日日曜日

3-7:猫と煙草


自転車を置きにアパート地階のガレージに入ったら、見覚えのある子猫が駆け寄って来た。アパートの別の部屋に住む姉弟がどこからか拾ってきて、階段のところで弄んでいた子猫だ。親に拒絶でもされて、ガレージで飼うことにしたのだろう。布を敷いたダンボール箱と牛乳の入った容器がガレージの隅にあった。しかし子猫はダンボール箱の囲いを飛び出して外をうろついている。ガレージの暗がりをこんな小動物がウロチョロしたていたら、早晩、出入りする車に轢かれてオダブツだ。そう思ったので、預かっている旨を書き置きして自分の部屋に連れて上がった。

それ以来猫が居る。猫は初めてではないし二匹目でもないが久しぶりだ。

連れて上がってすぐに生の豚肉を目の前に置いたら、ガツガツ食って喉に詰まらせた。アッと思って軽く背中を叩いたら、目を剥いてゲロッと吐き出し、その吐き出した肉にまた急いで食らいついて、今度は体全体でゴクリと飲み込んだ。「入居」と同時に豚肉で窒息死しかけたわけだが、その後、豚肉がこの猫のソウルフードになっている。数日後、健康診断で近所の獣医に連れて行った時にこの話をしたら、生の豚肉はやるべきではないと云われた。野生の肉食獣が食ってる肉はみんな生だろうと思ったが、寄生虫がどうとか云っていたので、なるほどと思い、それ以降は豚肉は火を通したものしかやってない。生は最初の一度きりだ。

猫の同居で煙草が問題になった。猫自身は別に気にしている様子もないのだが、獣医を含む周囲の人間たちが、煙の害や吸い殻の誤飲だのをとやかく云い出したからだ。できるだけ離れて煙草を吸っていても猫の方から近づいてくるので意味がないし、灰皿の灰をイチイチ始末しなけばならないのも鬱陶しい。どうすべきか、煙草を巻きながら考えていると、イタリア・ベネヴェントの魔女を名乗る、見ず知らずの人物から、イタリア語で書かれた電子メールが届いた。ざっと訳すと、

両立が難しいものをなんとか両立させるような努力は無意味。そんな努力に値するものはこの世界には何一つない。どちらかをアキラメルだけ。客観的にはどっちでもいい。主観的には選択の余地はない。二つのうち、ひとつは生き物で、ひとつはそうじゃない。人間にとって「生き物であること」は無視できない属性。故に答えは初めから出ている。
(ベネヴェントの魔女より)

猫は魔女のシモベらしいから、魔女から「脅迫」メールが来たのだろう。

2018年5月1日火曜日

3-6:機械操人


朝来たら巨大機械の電源を入れて昼まで動かす。昼飯の間は止める。昼飯が済んだらまた電源を入れる。途中、お茶の時間に一瞬だけ止めて、あとは夕方の終業まで動かし続ける。数人で働く。

繁忙期には一人で夜のシフトに入り、夜中から朝まで機械を動かす。お茶の時間は取らないで適当に缶珈琲で煙草を吸う。仕事をしたくないから夜に回る。徹夜シフトには残業がないし、機械を動かす以外の作業もない。

広い工場の反対側では、同じ徹夜シフトの別の部のひとりが、こちらの機械よりも更に巨大な機械を動かしていることもある。言葉を交わすことはない。遠いし、機械がうるさいし、そもそもそんな暇はない。

徹夜シフトで一番ツラい時間帯は、夜明け前の2、3時間。昼間働いて夕方疲れてくる感じとは全く違うツラさで、体が冷え切ってしまう。そのまま死ぬまで体温が下がっていきそうな気配なのだが、不思議なことに日が昇って明るくなると元気が戻る。おそらく、サーカディアン・リズムとなにか関係がある。

それに比べると、いわゆる丑三つ時はむしろ昼間よりも気分がいいほどで、仕事も捗る。夜中に一人で仕事をしていると「出る」とか「見た」とかいう話はどこにでもあり、この工場にもあるのだが、この宇宙がそんな子供騙しでは到底済まされないことを既に知ってしまった身では、そんな楽しい経験はできそうもないし、実際できてない。

缶珈琲を啜りながら一服し、次に機械にやらせる仕事の丁合見本を開いて少し読んでみた。

【次の文を読んで、以下の問いに答えなさい】
人間の意識や知覚についての(A)が或るレベルを超えると、人間の体験の場から(B)は消失してしまう。極つまらない例を一つ挙げるなら、現代的科学知識を持つ者は、雷の鳴るのを聞いても、もはや誰一人として雷神が太鼓を叩き鳴らす姿を思い描くことはないのである。このことは、ちょうど、思春期以降に異性の「見え方」が不可逆的に変わってしまうことと似ている。すなわち、脳内のニューロンの回路状況が決定的に変化することで、それまでは気付けなかった世界体験の「裏側」あるいは「真意」を読み取れるようになるのである。

【問1】(A)に入ると思われる語句を以下から選びなさい。
(1)科学的知見 (2)迷妄性 (3)政治圧力 (4)信仰
【問2】(B)に入ると思われる語句を以下から選びなさい。

最後に挟んであった表紙見本を見た。
「現役合格/個別指導COBE」

2018年4月30日月曜日

3-5:検査診断処方箋


十年以上前から年に三回ほどある夜中のノタウチマワルような腹痛で、今回初めて夜間の急病の診療を看板にしている病院に行ってみた。タクシーの運転手は「私も覚えがありますが、それ、盲腸ですよ」と云った。苦しいので黙っていたが、無論盲腸ではない。年に三回十年以上盲腸になり続ける者はいない。

病院の待合室には昼間と同じだけ診察待ちがいた。急病人を相手にしている病院だからてっきりすぐに診てもらえると思っていたのでアテが外れた。その上、待っているうちに痛みが和らぎ、宿直医の前に座った時にはだいたい治まってしまった。正直にそう云うと、若い医師は「そうですか。じゃあ、診ようがありませんね。もう帰っていいですよ。一度、どこかでちゃんと検査してもらってください」と、詐欺師のような仕事ぶり。

少し経ってから昼間に時間ができたので、詐欺師の助言に従って胃腸専門のクリニックで胃カメラを飲んだ。胃腸の専門医はカメラを操りながら「十二指腸に潰瘍があるけど、こんなのはまだ軽い方で、本当にひどいのになると血を吐くからね。だから、原因はコレではないだろうね」と云った。検査のあとで椅子に座って話をした。「いつも夜中過ぎの明け方前に痛くなるでしょう?」と訊くので、そうだと答えたら、「症状が出た日の前の晩にどんな食事をしたか思い出してご覧なさい。食べ過ぎてたり、脂っこいものを食べてたり、アルコールを飲み過ぎてたりしているはずだから」と云った。ホールで買ったチョコレートケーキをバカ喰いしたのを思い出し、それを伝えると「まず、間違いなく膵炎です」という診断。更に、夜中に痛みで苦しむのが嫌なら、何より食べ過ぎないことで、脂っこいものやチョコレートのような重たいものも控えた方がいいという助言。今度もし症状が出たらどうすればいいのか訊いたら、薬はないので我慢するしかないという無慈悲な回答。
「あとは絶食」
絶食?
相手はうなづく。
「膵臓を休ませるんです」
飲んでいいのは水くらい?
「いやいや。水もダメです。症状が出ている時に胃に何かを入れるのが、この病気には一番よくないわけですから、絶飲絶食です」
胃薬が効かないわけだ。
「むしろ、余計苦しくなったはずです」
そんな気もする。
「そもそも胃が痛いわけじゃないから、胃薬なんて飲んでも無意味です」

会計で処方箋と最寄りの薬局の場所がプリントされた地図を渡された。「コビ薬局」。東隣のビルの一階にある。

2018年4月29日日曜日

3-4:客室係


まず第一に歩いて通える距離であること。バイト先を決める時の常に変わらぬ第一条件。電車もバスも自転車も不確定要素。その道は帰宅困難者へと続く。自動車通勤は論外。渋滞、ガス欠、故障、そして人身事故。そもそも自動車に使える毎月のカネがあるなら働かない。本末転倒とはこのこと。

面接のおばさんが念を押す。
「普通のホテルじゃないですよ」
微笑みと共に頷く。
「分かってますか?」
再度微笑む。
「そう…」
面接のおばさんは履歴書に目を落とす。
「で、なぜウチで働こうと?」
だから、一番近かったので。
面接のおばさんは変な顔をした。
採用。

黄緑色の間抜けな半袖制服を着て、日替わりの二人一組で仕事をした。或る日組んだ老婆は「私はやめないよ。ここも大変だけど、どこに行っても同じだから」と云った。別の日に組んだ若いシングルマザーは「子供育てなきゃならないからさあ」と煙草を吹かして笑った。他のパートから毛嫌いされて「チェック係」(誰とも組まずに一人でする仕事)に回された或る60女の弁当はいつも漫画の爆弾のようなまん丸の大おむすび一個で、「うん、これがね、これが一番簡単で、簡単なのよ」と、誰からも訊かれてないことを、誰の目も見ずに話した。

どこにでも人間はちゃんといて驚く。

或る日の夕方、鬱陶しいことを云う無線機に向かって「云いたいこと」を云ったら(空腹のなせるワザ)、同じ無線機がすぐに支配人室に来るように云った。行くと、椅子に座ったスーツの男がいた。初めて見る。頭から湯気を出して色々云うが、実態は、聞いて覚えただけの云い回しを状況に応じて並べているだけの「人工無脳」で、思わず笑みが漏れた。それを見てまた相手が怒りを爆発させる。しかし、実力を伴わない怒りの爆発はウケない一発ギャグと同じだとコビもラジオで云っている。ナニゴトもなく休憩室に戻ったら、キヨミズ君がスゴイと云って感心した。キヨミズ君はいつも疲れた様子の年下の先輩だ。
「イヤ、ホント、この会社にアンナこと云って、それでクビにもならず、辞めもしないって…こんなヒト初めてですよ、フフフ…」

しかしその2ヶ月後に、他にやりたことがあると嘘をついて辞めた。本当は、もうすぐ暑くなることに気づいてゾッとしたのだ。やたらに腹が減るのも不経済で不健康。なぜか「パートさんたちのリーダーとして頑張ってほしかったのに」と引き止められた。
冗談でしょう。
最後まで笑わせてくれる職場だった。

2018年4月25日水曜日

グルグル眼鏡


グルグル眼鏡のアイツが友達。
ちっとも勉強しないアイツが眼鏡で、
勉強している僕の顔には眼鏡がない。
あのグルグルで、空を見あげる。星を見る。
何か見つけて、拾って帰る。
あのグルグルで、世界の渦巻き探してる。

溺れたのに死ななかった


溺れたのに死ななかった。
ぶくぶく沈んで底まで行った。
息することを思い出さないようにして、
そのまま岸までどんどん歩いて助かった。
でも、それきり息することを忘れてて、
夕べ思い出した時には、もう死んでいた。

突然、出て行った


突然、出て行った。
置き手紙もない。
ケータイも置いたまま。
心当たりを全部調べてまわった。
でもいなかった。
ちゃぶ台の前に胡座をかいて、
缶ビールを開けたとき初めて気が付いた。
右足の裏の「サヨナラ」の四文字。

手術が長引いてる


手術開始から、はや七年。
手術室の赤いランプは一向に消える気配がない。
時々、医者や看護師が出入りして、
通りすがり、長椅子の僕に向かって、
大丈夫ですよ、安心して下さい、
などと云うが、僕は心配でたまらない。

2018年4月24日火曜日

3-3:非デジャブ


海の近くに泊まる。土地の名前は先住民の言葉で「釜をかけたり」。ホテルは木造モルタル二階建てで、古くもないし新しくもないが、清潔感はあり気分がいい。そして当然海が近い。部屋にある小さなベランダの下は砂浜だ。無論、砂浜に建っているわけではないが、砂浜ギリギリには建っている。ベランダの手すりから身を乗り出すと、下は砂浜だ。窓枠の風景もまるで海の上。しかし、散々フェリーで揺られてまた海かと思わせないところが海の面白さ。

晩飯。下のレストランに行く。他に客はいなかった。そもそも泊まり客自体が他にいない。気配がない。図らずも貸し切り。茸のパスタと地ビールを気分良く平らげる。

部屋に帰ってテレビをつけると、視聴者の依頼を探偵に扮した芸能人が調査する番組をやっていた。しばらく眺めていて、既に観た内容だと気づく。新聞を調べたが再放送ではない。しかし確かに既に観ている。デジャブではない。デジャブは所詮あと出しジャンケンだが、これはそれとは違う。展開と結果を先に云える。つまり、デジャブではない。

CM。女の声のナレーション:
デジャブ。今初めて見たものを既に知っていると感じる時、実際には「今この瞬間」の知覚すなわち体験が、瞬時に「過去」に送り込まれ、過去の体験として「思い出される」のです。故に認識者がそれを「既に知っている」と思うのは自然な反応です。認識者が「以前から」と思う、その認識自体は実は誤りでありません。なぜなら、厳密に云えば、どんな知覚=体験も、脳による処理の過程で、全て「過去」の出来事になってしまうからです。脳は、体験と認識との時間差をあらかじめ織り込み、それらを「同時」と錯覚させる或る種の「嘘」をつくことで、私たちの日常体験の根幹を支える重要な機構となっているのです。デジャブについてお悩みの方、更に詳しくお知りになりたい方は、是非、当社まで。C-O-B-E。私たちはコービーです。

仏壇屋のCMに変わった。大昔の幼児が手を合わせる。
テレビを消した。今は睡魔。これをどうにかしたい。無闇に大きいベッドに潜り込み目を閉じた。

目を開いた。暗い。日の出前。どれほど眠り続けるだろうと思ったら、翌朝普通に目が覚めた。睡眠負債の案外な低金利。ともかく、フェリーで取り損ねた分は全て取り戻した。

朝飯後に近所を歩いて、一軒しかない食料品店で梨を買った。部屋に帰ってから、食料品店で借りた包丁でその梨を切った。

2018年4月23日月曜日

3-2:四半世紀人


先住民の言葉で「砂の入江」。そういう名前の海岸に来た。迎えの者が是非にと勧めたからだが、本当は勧誘者自身の念願。脇道に入って車を降り、崖を下った普通の砂浜の「立ち入り禁止」の向こうに見上げる崖の途中の奇妙な建物。
「竜宮です」と迎えの者。
竜宮は海の底ですよ。
「竜宮です」
迎えの者は満足げだ。確かに建築様式が独特で浦島太郎が一杯やっていそうだが、アメリカ映画に出てくる忍者を連想させる違和感もある。少しすると迎えの者が「ちょっと失礼」といなくなった。来た崖の上にオバケ公衆便所があった。一人になると睡魔が勢力を盛り返してきた。堪らず近くの岩に腰を下ろし目を閉じる。

「ちょっとヨロシイかしら?」
肩を叩かれて振り返ると、怪士(あやかし)の能面のような顔の女が立っていた。女はニジューゴネンジンについて話したいがいいかと訊いた。
ニジューゴネンジン?
「正確にはその優しさの源についてです」
どうぞ。

怪士面の女の話:
ニジューゴネンジン、別名〈四半世紀人〉は生まれて25年経つと子供を産む。その点で、有名な〈17年ゼミ〉いわゆる〈素数ゼミ〉と似ている。(無論25は素数ではありませんよ)。ニジューゴネンジンの赤ん坊には両親が居る。その両親は25年前に生まれた。更にその25年前に祖父母が生まれ、その更に25年前には曾祖父母が生まれた。(彼らが四半世紀人と呼ばれる所以です)。人数は、最初の赤ん坊が一人。次の両親が二人、祖父母は4人、曾祖父母は8人。それぞれの人数を2の累乗で表すと、指数はそれぞれ、0、1、2、3。指数は百年で4カウントずつ増えていくので、千年でざっくり40になる。(あくまでザックリとですが)。現在のニジューゴネンジンの人口は70億。四十年前は30億。千年前はもっとずっと少ない。しかし上の計算に従うなら千年前の先祖の数は2の40乗人。約1兆人。ここに論点がある。現実に生きた先祖の数が、計算上の先祖の数よりも何桁も少ない。この圧倒的不等号の〈意味〉を理解すること。

「つまり」と怪士面の女は云った。「全てのニジューゴネンジンは家族なのです。主義主張としてではなく、喩えでも希望でもなく事実としてそうなのです。これがニジューゴネンジンの優しさの源です」
そうなりますか…
「参加無料の講習会に是非どうぞ」
怪士面の女はパンフレットを差し出した。受け取って表紙を見ると、そこには「COBE主催」の文字があった。

2018年4月22日日曜日

3-1:ベンザ問題


フェリーを降りてから到着の電話をした。自家用車で迎えに来ると云う。
自分:何時頃?
相手:今何時?
時計を観た。午前9時。
相手:昼までに。
自分:昼までに?
相手:はい。
自分:じゃあそれで。
相手:はい。じゃあ。
電話を切った。(じゃあってなんだ?)

初上陸の最北の地。既にはっきりと寒い。ともかく待ち合わせの駅に向かう。歩き始めて気付いた。猛烈に眠い。思い返してみるとゆうべはいくらも寝ていない。なぜだかウトウトしているうちに朝になってしまったのだ。

駅に着いた。9時半にもなっていない。港町は港と駅が近すぎる。珈琲屋に入って一杯注文した。珈琲と煙草は人間の証し。動物にはどちらも必要ない。変なガラスの灰皿に灰を落とし、メニュー立てからメニューを取って開いてみるとノートだった。(メニューは床に落ちていたので拾って戻した)

【ノートの中身】
男が使用後に便座を下ろしておかないことを非難する女の中にも、そうと決めても使用後に便器の蓋を下ろしておくことができない者は多い。そもそも洋式便器の蓋は使用後に閉めておくためにある。故に、使用後に便座を下ろさない不埒な男も、使用後に蓋を下ろさない怠惰な女に対してだけはこう主張していい。「使った後の便座はちゃんと〈上げて〉おけ!」と。要点は、自分は蓋を下ろさないのに便座が下りてないことに腹を立てる女は、単に自分が使いやすいかどうかだけの都合で腹を立てているのだから、入ってすぐに立って小便が出来るように便座を上げておくべきだと男が主張したとしても、それを否定することは出来ないということ。(COBE)

なんだいこりゃ?
ページを繰ろうとしたら珈琲が来た。ノートを脇に置く。さっきは気付かなかったが表紙にも「COBE」。COBEといえばCosmic Background Explorerで、それならアメリカの深宇宙探査衛星。宇宙マイクロ波背景放射を最初に観測した衛星だが、まあ、関係は無いだろう。
「それ、私のなんで、返して下さい」
ウェイトレスが云った。〈それ〉とはノートのことだ。いつまでも帰らないのでオカシイと思った。ノートを手渡しながらCOBEの意味を訊いたが、無視/無回答。そのままノートを持って立ち去ってしまった。

外は曇って来た。更に寒そうだ。珈琲を啜る。人の気配に振り返ると、さっきとは違うウェイトレス。湯気の立つ珈琲を盆に乗せて立っている。
「あら、もう来てますね、珈琲」

2018年4月17日火曜日

2-9:鏡像


寒い。目が覚めた。納棺された夢を見た。棺は冷蔵庫。冷蔵庫が棺。庫内の温度は摂氏10度以下で夏でもドライアイスなしで遺体が痛まないのは発明だが、(死体の体温は室温のはずだから、室温より温度が低いと死体も寒いんじゃないかな)と、船室のベッドの上で震えながら考える。無論、道理は粉々に砕けている。夢の無重力の影響が残っているのだ。
重力は徐々に戻って来た。
口の中が苦い。
(歯を磨かなくては…)
洗面所の鏡の前に行く。
鏡にヒビが入っている。
ナニカをぶつけたのだ。
ぶつけたナニカはすぐに分かった。
鏡の中の顔が眉間から血を流している。
触る。
痛みはない。
顔を洗う。
顔を上げる。
鏡の中の眉間から血が流れ出す。
また顔を洗う。
また上げる。
また流血。
止血するものが要る。
(そんな都合のいいものがあったかな?)
タオルくらいは、と鞄を探る。
あった…だがタオルではない。
包帯の新品。
(いつの間に?)
鏡の前に戻る。
巻き方を知らない。
とにかく巻いてみる。
鉢巻き状にしてみた。
これでは眉間の傷を覆えない。
眉間を覆うにはバツの字に巻くしかない。
そうした。
鏡を見る。
まあまあだ。
血が滲んで来る様子もない。
(なぜだろう? たまたま巧く傷を塞いだ?)
まあいい。
残りを適当に顔の上下に巻きつける。
出来上がりを見て笑う。
ミイラか透明人間。
しかしこれでいい。
この顔に見覚えがある。
なるほど、と思う。
なるほどアイツはコイツだと納得する。
煙草をつける。
煙を吐く。
また笑う。
(そうだ。歯を磨くのを忘れてた…)
煙草を消す。
顔を上げる。
鏡の中に包帯でぐるぐる巻きの顔。
(一体、何のつもりだ?)
包帯を外す。
ゆっくりと巻き取っていく。
全て取って、顔中くまなく調べる。
傷も何もない。
巻き取った包帯を眺める。
捨てようかと思ったがやめる。
屈んで、鞄の奥に突っ込む。
体を起こしたときに耳の石がズレた。
目が回り、無重力が戻って来る。
(傷を負ったのは顔ではない。別の箇所だ。顔の包帯はその象徴に過ぎない)
ふらついて、バランスを崩す。
額をナニカにぶつけた。
割れる音。
(鏡?)
目眩が止まらず眼を開けられない。
それでも世界はグルグルと回り続ける。
(それはそうだ。誰も観ていなくても世界は回り続ける)
ドアをノックする音にハッとなる。目を閉じたまま返事する。フェリーが港に着いても下船していない客が居るというので乗組員が船室に様子を見に来たのだ。
了解し、すぐに降りる旨を伝え、目を開けた。

2018年4月16日月曜日

2-8:待合室


その25分後。

一人は顔面包帯巻きで詰襟。青い煙を立てて一人掛けのソファに腰を下ろしている。斜向いの二人掛けソファには二つの大きなジャガイモ袋が座る。
「中身はジャガイモではありませんよ」
ジャガイモ袋の一つが云う(男の声)。
「ただの年金暮らしの夫婦ですわ」
隣のジャガイモ袋がホホホと笑う(女の声)。
「コイツはつまり防護服です」

【ジャガイモ袋防護服の着用法】
(1)一人当たり二つのジャガイモ袋を用意します。
(2)袋に両脚を入れて胸まで引き上げます。
(3)別の袋を頭から被って腰まで下ろします。
(行政発行の小冊子より)

ジャガイモ袋の夫は小冊子を袋の中にしまう。

周囲を埋め尽くすガラクタは、家具、食器、家電、瓶と缶。裂けて垂れ下がった赤いカーテンと、ゴッホの渦巻きのように宙を舞う大量の塵埃。

夫のジャガイモ袋が云った。
「あなたのお顔の包帯も今度の爆弾で?」
相手が何とも答えないうちに妻のジャガイモ袋が
「まあ、それはお気の毒にねえ…」
空井戸に小石を落すとこんな音がする。ただ云ってるだけのオクヤミ。
「幸い私たちは二人ともどこも何ともありません」
「本当にありがたいことですわ」
「このジャガイモ袋のオカゲだよ」
「まったくね。家の中はメチャクチャになったけど」
「それでも怪我がなかったのはナニヨリさ」
「本当に」
床のガラクタの中から電気ポットが這い出した。両手に揃いの紅茶茶碗をぶら下げている。脛毛の生えた丈夫そうな二本の脚。大きく跳躍してテーブルに登った。電気ポットは夫婦の前に紅茶茶碗を並べ、安全装置を自分で解除すると、湯気の立つ中身を二つの茶碗に注いだ。
「あら、紅茶じゃないわ」
そう云って見せた中身は、月のない真夜中のようなブラック珈琲。
「状況を考えると贅沢は云えないさ」
「でも私ブラック珈琲は飲めないのよ」
「冷蔵庫に牛乳があったろう?」
「カフェオレね」
夫のジャガイモ袋から伸びた腕が、床に仰向けに倒れた冷蔵庫を開けた。
「おや、ダメだ。固まってるよ」
夫のジャガイモ袋は牛乳瓶を振った。
「きっと今度の爆弾の熱のせいだわ」
「いや。電気が止まったせいさ」
逆さにした牛乳瓶から白い液体がぼとりと落ちた。
「冷蔵庫が動かなくてそれで腐ったんだよ」

いや。電気は止まってない。冷蔵庫も冷えている。証拠は庫内に横たわる真っ白な凍死体。裸足の親指に「見本品」のタグがあり、捲ると小さな活字で「中身はレジでお渡しします」と書かれている。

2018年4月15日日曜日

2-7:テープレコーダー


あと一晩で港。明日には新天地。体力も神経も消耗するだろう。
早めに寝る。
枕に頭をつけたらナニカが当たった。異物。枕カバーに手を入れる。ある。取り出した。マイクロカセットテープレコーダー。テープが装着済み。イジェクトボタン。取り出す。裏表。手がかりなし。未知のテープを装置に戻す。
再生。
ハブが回る。
声)もしもし、エディ?
留守電のテープらしい。
声)そう、そりゃよかった…
ちがった。電話の録音だ。しかし相手の声は聞こえない。代わりに無音が挟まる。
声)でさ、ウン…そうなんだけど…
声)あの…大事なこと先に云っていい?
声)いきなりだけど、この電話盗聴されてるんだ。
一旦止める。
ナンダコレ?
まあ、いい。再生。
声)どこかに盗聴器が…(ガサゴソ音)あるはずなんだけど…で、たぶん録音もされてるから滅多なことは話せないんだけど…ないなあ、どこだろう?
声)そう。裁判で証拠にされるからね…
声)うん、そう、そのとおり。でも、もう構わないことにしたよ。
声)何って…トム少佐のことだけど。確かにいうとおりだと思ってね。あと、ジュディについてはこちらからは一切話さないから。
次々と登場人物。盗聴の事実を知りながら?
煙草をつけた。
声)ダメダメ。ここは今、禁煙だから。
おっと…。テープを止めて室内を見回す。船窓の円内は夜の海のはずだが今は何も見えない。ふうと煙を吐いて再生。
声)猫に遠慮してるんだよ。だから本当は禁煙じゃなくて断煙。つまり吸う本数を二十年に一本くらいに減らしただけで、やめたわけじゃない。
吸っても吸わなくても死ぬんだから吸えばいいのさ。
声)そういうのってやっぱり死神に魅入られてるんだろうけど、死神なんて実はどうってことないんだよ。死神が祟るのは生命だけだから。
へえ。
声)本当に厄介なのはMr.SoWhat。あれは知性に直接に祟るからね。
…?
声)ダカラナニ氏のことだけど?
急いで止めた。手帳を取り出して古い自筆のメモを読み返す。
>死神は所詮生命現象に祟るだけ。人間にとっての本質的な問題ではない。
>本当に厄介なのはダカラナニ氏。こちらは知性現象に直接祟る。
さっきより真剣に室内を見回し、テープももう一度調べてみるが何もない。
煙草を消す。
再生。
声)そう。魔女の仕業。
声)思考が電波になって漏れ出す。
声)装置じゃない。病気。こっそり感染させる。
声)そうさ。巧妙なのさ。
声)いや、治療法はあるよ。
声)患部の右手を切り落とす。

2018年4月10日火曜日

2-6:フランス式サンドイッチ


食堂は憂鬱なので売店で晩飯を買う。店員は外国人。労働力不足なのか。

これは?
「ロワイヤルチーズ」
ハンバーガー?
「そう。クォーターパウンダー」
どっち?
「どっちも」
どっちもって?
「同じ」
意味が分からない。じゃ、これは?
「サンウィチーズ」
チーズ?
「ちがう。サンウィチーズ」
サンドイッチ?
「はい」
この長いバゲットまるごと?
「フランス風。チーズ入り。私、毎日食べてる」
これを?
「はい」
全部?
「はい」
どうやって?
「齧る。今朝も齧った」
このまま?
「齧ります。美味しいですよ!」

買った。紙に包まれたサンドイッチを抱えて部屋に帰る。ベッドに座って紙を拡げる。切るものがないのでそのまま齧った。堅い。堅いがなるほど美味い。
確かに!
齧るちぎる噛む噛む噛む。齧るちぎる噛む噛む噛む。
美味いが疲れた。咬筋不足。一緒に買った不味い珈琲を飲んで休憩。
再開。
齧るちぎる噛む噛む噛む。齧るちぎる噛む噛む噛む。
もうどの辺だろう?
テレビをつけた。何も映らないつもりが映った。陸の近くを離れず進んでいるせいだ。但しこの地方CMは観たことがないし天気予報の地図も違う。航海が進めばこれからもう一度変わるはずだ。
サンドイッチを齧る。
トトトトンとドアを叩く音。開けた。背の高い顎の尖った男。
(船長?)
恰好はそうだ。雰囲気は全然。入っていいかと訊く。答える前にもう入っていた。猫背気味。長身のせい。ふたつあるベッドのひとつに腰を下ろす。
早口。
「まず現在から始めてすぐに過去に戻る」
分かったかとコチラを指さすので頷く。
「それから現在を跳び越えて未来を見せる」
人指し指に頷く。
「そのあとで現在に戻って物語を閉じる」
また指したのでまた頷く。
「するとどうなると思う?」
今度は指ささない。コッチも頷かない。
「それは何だい?」
サンドイッチだと答える。
「へえ…」
早口の男は本題に戻る。
「観客は主人公の過去と未来を現在のうちに見る」
そう云っておいて、いや待てと手を広げた。
「分からないだろう。うん、これでは分からない」
少し考え、おおそうだと顔を上げる。
「原因と結末の後で途中に戻れば…」
気を使って自発的に頷く。
「死を否定することなく、しかも永遠に生きられる」
どうだこれで分かったろうという顔。
珍紛漢紛。
「それ、少しイイかな?」
サンドイッチをねだられた。
渡す。
バゲットの尻にカブりつく顎の尖った男。
「なんだ…マヨネーズが入ってるぞ」
顔をしかめて、ゆっくりと口を動かす。

2018年4月9日月曜日

2-5:フクロウ


フェリーの大浴場の湯に包帯巻きの顔のまま浸かっていると、あとから若い裸がドヤドヤと入ってきた。混浴だったかと最初は驚いたが、いや、単にどちらかが間違えただけかもしれない、あるいは、或る特殊な接待ということもなくはない、などと考え直し、様子を見ていると、隣で茹っていた灰皿のような眼鏡が云った。
「あのフクロウたちは見かけとは違います」
灰皿眼鏡は湯の中から名刺を出す。完全防水仕様。灰皿眼鏡は派遣会社「梟の森」の社長で、裸のフクロウたちはその所属タレント。慰安旅行中だという。
「一緒に風呂に入って裸を見てもらえば仕事の宣伝にもなりますから」
しかし勝手に混浴にするのはどうだろう。
「いや、生物学的には混浴ではありませんからね」
つまり?
「だから、見かけとは違うと」
性改造人間?
「面白い云い方ですが、それならむしろ性改修人間です」
近くで見てもその完成度の高さはまるで天然物。とても人工物とは思えない。

巨大ディーゼルエンジンの排熱で湧かした湯に浸かった包帯と眼鏡と超性別連。全員無言で熱と水圧を堪能する。ふと閃き、包帯の中からイザという時の一本を抜き出し咥えた。しかし火がないことに気づく。すると隣にいたアフロヘアがモジャモジャ頭からターボライターを取り出して、ジェット噴射の青い炎で、湿った煙草に火をつけてくれた。
一服。
湯気と煙。
閃きを追った。
天然でも人工でも生命は生命。生物でも機械でも知性は知性。どちらも出自や機構には左右されない。出自は原因。機構は手段。しかし「女」はどうなのだろう? あるいは(同じことだが)「男」は? よくよく考えてみると、「女」も「男」も出自自体/機構自体なのかもしれない。「女」や「男」こそ、気の持ち様だと考えていたが、どうやらそうでもないらしい。現象として見た場合、「女(男)」は、生命に及ばないし、知性にも適わないが、物理と直結している可能性があるという点で、事実としてはその両方に優るのかもしれない。
「考えてますね?」
灰皿眼鏡が勘違いの目玉を動かし、安くしておくので一人どうかと勧める。
「このままお持ち帰りで構いません」
無論断る。
「滅多にないキカイだと思いますがね」
重ねて固辞。
「そうですか。ま、無理強いはしません」
「しかし性は虚構ですよ」と社長の唐突。「そうして虚構は母数つまりパラメータが全てです。ですから、例えば人工子宮装置が女でないのは母数が問題なんです」
逆上せた。

2018年4月8日日曜日

2-4:老人相撲


中央ホールでの余興はフェリー会社主催の相撲トーナメント。百歳王決定戦。百歳超えの老人達の戦い。決勝戦に間に合った。バーでホットミルクを注文する。胃の調子が良くないのだ。熱々を受け取り一口。仮設の土俵を遠巻きに立ち見。
東が白い締め込みの月ノ光(つきのひかり)。
西が黒い締め込みの黒蝙蝠(くろかわほり)。
双方ともに全身タイツの覆面姿。正体を隠すのは主に家族の希望(「いい歳をしてまったく…」)。どちらもヨチヨチ歩き。あるいはギクシャク歩き。仕切り線から塩の場所にヨチヨチ歩く。塩を摘んで投げる。それからまた仕切り線にギクシャク戻る。双方ともに蹲踞は出来ない。少し膝を曲げ、すぐに伸ばす。背中はずっと曲がり気味。ただし睨み合いだけは堂に入ってる。歳をとると体内時計の刻みが遅くなる。すなわち老人にとっての五秒は周囲の十秒。老人は少し植物に近づく。
たっぷり一分間睨み合った。
周りから拍手が起こる。お互いに目をそらしてその場を離れる。ヨチヨチ歩きで塩を取りにいく。ギクシャク歩きで仕切り線に戻る。
そしてまた一分間睨み合う。
それが延々と続く。いつまでも戦わない。
もうやるか?
…まだか!
最初大きかった拍手もパラパラになる。熱かったミルクもすっかり冷めた。コップを覗き込むと白い表面に黒いナニカ。小さい顔。
カンダタ?
地獄の血の池で浮いたり沈んだりしている。人間の血が赤いのは鉄分のせい。地獄の血には鉄分は含まれない。代わりに脂肪分が含まれている。すなわち地獄の血の池は白い。真っ白な血の池から顔を出すカンダタ。
いや待て。
鉄分の含まれていない血は酸素を運べない。それはまるで客車が一つもない機関車。むしろ鉄輪だけが鉄路を転がるようなもの。悪くはないが役には立たない。価値がない。しかし意味はどうだ?
意味だって?
小さく歓声が上がった。顔を上げ土俵に目を向ける。
どっちが勝った?
勝負有り!
行司の軍配が東を指す。すぐに審判の手が挙がった。物言い。審判たちが土俵中央に集まる。話し合いが済みそれぞれの場所に戻る。審判長がマイクを手にする。
「ただ今の協議についてご説明いたします。黒蝙蝠の心筋梗塞で行司軍配は東を上げましたが、月ノ光の脳溢血が先ではないかと物言いがつき、協議した結果、月ノ光の脳溢血が先に起きており、行司差し違えで、黒蝙蝠の勝ちといたします!」
少しの歓声と少しの響めき。パラパラの拍手。
そしてふたつの老人の死体。